(177)『あらくれ』

徳田秋声『あらくれ』  2020年1月

小田島 本有

 「あらくれ」とは乱暴者のことであり、主人公お島を指している。作品の中で彼女が喧嘩をしたり、涙を流したりする場面はしばしば描かれる。彼女のこのような性格は実母からなぜか毛嫌いされ(その理由は作品では明らかにされていない)、兄弟の中で彼女だけが酷い仕打ちを受けていたという環境によって形成された部分が大きかったのではないか。
 その後彼女は養子に出され、18歳のとき嫌っていた作太郎との結婚を強いられて婚礼の晩に出奔した。後に10歳も年上の鶴さんと結婚するものの、彼女の知らないところで彼女の養父母が彼女を作太郎と入籍させていた事実を知らされる始末で、これが鶴さんに余計な疑いを抱かせるようになった事実を取り上げても、彼女の人生が波乱含みであったことが十分想像できるだろう。
 樋口一葉が描く女性たちは女性であるがゆえの制約を強いられ嘆くことしかできなかった。それらの女性たちとお島が決定的に異なるのは、彼女が「家」に守られる(あるいは、縛られる)存在ではなく、商売などを通じて我が身を押し出して行こうとする自立性にある。鶴さんと結婚し妊娠するものの、死産を余儀なくされたばかりか、夫の女癖の悪さからの喧嘩も絶えず、二人は1年ほどで離婚する。裁縫師の小野田と出会い一緒になるが、あるとき出先から店に戻った職人が水浸しになった光景に遭遇する場面がある。火災があったわけではない。店員の不在中に小野田がお島の体を強引に求めたため、彼女が水道の護謨栓を彼に向けたがゆえの結果だった。作品中では二人の性的な不一致もほのめかされている。彼女が自転車に乗ってセールスをした効果もあって、中学の制服を売る商売もようやく軌道に乗り始めるが、その一方で夫婦の溝は深まるばかりだった。
 夫に対する不満が募っていくなか、彼女が再会したいと思った男がいた。鶴さんとの離婚後、しばらく滞在した山国で働いた旅館浜屋の主人だった。夫が不在中そこを訪れることを思い立った彼女だったが、旅の途中彼女が乗客の会話から知ったのは、浜屋の主人が買い取った山の森林を歩いていた際、橋の板を踏み滑らして崖を転がり落ち、それが原因で亡くなったという事実だった。彼女は浜屋に泊まり、翌朝墓参りを済ませたあと、山の温泉場に行く。傷心を癒すためだった。家に電話を入れてはみたが、夫はまだ帰っていない。そこで彼女は店の小僧や若い職人を呼び寄せる。いつまでも悲しみに沈んではいられない。そして夫と別れ、新たな旅立ちを夢想する彼女の姿を描いて作品は幕を閉じる。
 漱石はこの作品について、「現実其儘を書いて居るが、其裏にフィロソフィーがない」と評した。確かにお島は反省することのない女性である。『道草』において反省を繰り返す健三を描いた漱石からすれば、お島は理解不能な人間だったのかもしれない。