太宰 治 『富嶽百景』 2010年3月
結婚式を挙げるに際し、当てにしていた経済的援助を実家から得られないと分かり、「私」(太宰)は途方にくれる。縁談そのものを断られても仕方ないと覚悟を決め、甲府の娘さんのお宅へ伺ったところ、「私」を迎えてくれたのは「ただ、あなたおひとり愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます」という、ご母堂の有り難い言葉だった。
「私」が東京を離れ、井伏鱒二のいる御坂峠の天下茶屋を訪れたのは昭和13年初秋のこと。その前年彼は前妻初代と離婚をし、その後荒廃した生活を続けていた。「私」が「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」と述べているのは、当時の「私」の精神状況を如実に語っている。『富嶽百景』は、御坂峠で新しい人生を踏み出そうとする「私」を軸に据え、「私」の眼に映る富士のさまざまな姿を軽妙な語りで綴った作品である。
茶屋に戻るバスで隣に座り、親近感を覚えた老婆がふと漏らした「おや、月見草」という言葉。富士と対峙しけなげにすっくと立っていた月見草を目の当たりにし、「私」が呟いた言葉は「富士には、月見草がよく似合う」であった。この一文が利いている。
茶屋の娘さんも貴重な脇役として忘れ難い。彼女はストレートな物言いが魅力的である。「お客さん。甲府へ行ったら、わるくなったわね」と彼女は苦々しく言う。彼女は「私」の机の上の原稿用紙を番号順に揃えるのを楽しみにしていた。だが最近「私」の仕事がちっとも進んでいないことを彼女は気に病んでいて、陰で涙を流してくれたりもする。彼女の涙は「私」をはっとさせるに十分だった。また、この茶屋で休憩をした花嫁姿のお客が富士に向かって大きな欠伸をしたのを見つけ、「お客さん、あんなお嫁さんもらっちゃ、いけない」と「私」に忠告する。そうかと思えば、雪の積もった富士を見せたくて寝ている「私」を絶叫で起こしてくれたりもする彼女なのである。
天下茶屋での逗留。それは「私」にとって大きな転換点ともなった。そして、「私」の視線の先にはいつも富士があった。「私」を励まし、感嘆させ、温かく包み込んでくれた富士。
最後、「私」が旅行でここを訪れた若い娘さん二人にシャッターを切ってくれるよう依頼される場面がある。大きい富士をバックに二人をカメラに納めようとすると、彼女たちのまじめな顔がおかしくてならない。カメラをもつ手がふるえ、とうとう「私」はカメラから二人を追放し、富士山だけをキャッチした。このとき「私」は、「富士山、さようなら、お世話になりました」と述べている。思わず失笑してしまう場面だが、富士山に対する感謝の念は偽りのないものであったことが伺える。
『富嶽百景』は太宰のユーモアセンスが遺憾なく発揮されている。そののびやかさは我々の心に解放感すら与えてくれるだろう。