谷 崎 潤 一 郞 『蓼 喰 ふ 虫』2012年10月
作品の冒頭、妻の父親から夫婦二人で人形芝居を見に行かないかと誘われ、成り行き上承諾したものの、いざとなるとなかなか腰を上げようとしない夫の要。一方妻の美佐子も態度を決めかねていてなかなか事が運ばない。このシーンはまさにこの夫婦のあり方を象徴的に示していると言えよう。
性的不調和が原因で妻が新しい恋人をつくり、夫もそれを認めている以上、離婚するのはもはや自明のこととさえ言えるのに新たな段階に進むこともできない夫婦の姿を描いた作品が『蓼喰ふ虫』である。自ら決定をしようとせず絶えず受け身を守ろうとする点で、この二人は似た者同士であった。この夫婦だけではない。美佐子の恋人である阿曽も現在の恋愛がいつまで続くか分からないなかで将来の約束をしても無意味だし、自分に嘘をつくことになるといって、現在のままでいいと言い出す始末である。夫婦の調停を依頼された従弟の高夏がこうした彼らの煮え切らない態度に不満を抱くのも蓋し当然と言えよう。
その一方で両親の間に起きている異変を察知し、妙に快活に振る舞ったり、脅えたりする息子の弘がいた。息子に何も知らせまいとする姿勢が却って息子の不安を煽る結果になっていることにこの両親は思いを馳せることができない。一見すると息子のためを思っているようでありながら、結局のところ彼らは自己保身を図っているという点で同類である。
どちらも別れるならば自分が捨てられる側になること、すなわち楽な側に身を置こうとするあまり、積極的に動こうとはしない。挙げ句の果ては別れるならば気分の落ち込まない季節がいい、とまで言い出す始末なのだ。
このことに痺れを切らした高夏は、二人の調停役を自ら下り、弘には両親のことを伝えた。このままではただ状況を悪化させるだけだという判断が彼にはあったからである。
やがて要は舅に状況を伝える手紙を送った。後日顔を合わせた舅は「あなたがあんまり物を理詰めに持って行き過ぎたんじゃないか」と断りながらも、彼に再考の余地はないかと持ちかける。舅には三十年も年の離れたお久という妾がいた。お久は年寄りの趣味に付き合わされているが、それなりに二人は睦まじくやっているように要の目には見える。一緒にいれば自然と情愛も出てくるということを体験的に知っている舅は、娘と二人だけで話をする時間を持たせてほしいと要に頼むのであった。
この作品は谷崎が佐藤春夫と絶交したという、あの小田原事件をモデルとしている。作者の分身たる要が語り手によって批評的に眺められているのは注目される。妻の譲渡事件が一大センセーションとなるには『蓼喰ふ虫』が発表された翌年(昭和5年)のことであった。妻千代は谷崎と離婚し、佐藤春夫の妻となったのである。