(135)『少年の悲哀』

国木田独歩『少年の悲哀』 2016年7月

小田島 本有   

 「少年(こども)の歓喜(よろこび)が詩であるならば、少年の悲哀(かなしみ)もまた詩である。自然の心に宿る歓喜にしてもし歌うべくんば、自然の心にささやく悲哀もまた歌うべきであろう。」と冒頭で述べた「僕」は「僕の少年の時の悲哀の一ツ」を語り始める。
 「僕」が語るのは12歳の頃の思い出である。当時「僕」は叔父の家で暮らしていた。東京の親元を離れ、瀬戸内海を臨む土地で野山を駆け巡る「幸福なる7年」を送った、と「僕」は語っている。
 この家の下男徳二郎に「叔父さんにも叔母さんにも内証ですよ」と言われて「僕」が連れられて行ったのは青楼の一つ。徳二郎はここの女に会うなり「坊様を連れてきたよ」と言っている。この薄倖の女は早く両親に死に別れ、たった一人の弟とも離れ離れとなってその行方も知れない。別れたのが弟12歳の時。それから4年経つという。たまたま女が徳二郎に弟の写真を見せてくれた。「これは宅(うち)の坊様と少しも変わらん」と徳二郎が言うので、女が「僕」に会いたいとねだったのだ。
 この作品は少年の「僕」の視点に沿って語られている。徳二郎と女との間では「いよいよ何日と決まった?」「やのあさってに決まったの」という会話が交わされるが、この時の徳二郎は「ふだんにないむずかしい顔」をしていた。女の希望で彼女と「僕」が二人でしばし舟に乗ったとき、彼女は自分の朝鮮行きが決まったことを告げている。それを語る彼女の目から涙が流れており、この時「僕」は「少年(こども)ごころにも言い知られぬ悲哀(かなしみ)」を感じている。当時少年だった「僕」には、青楼という特殊な場で出会った女と徳二郎の関係、さらには朝鮮行きを余儀なくされる彼女の運命など、大人の詳しい事情は窺い知ることはできない。
 後から別の舟で徳二郎がやってきた。その彼の前で彼女は突っ伏して大泣きに泣く。徳二郎は急に「まじめな顔」をしてこのありさまを見ていたが、たちまち顔をそむけ、山の方を黙って見た。この時彼は彼女の運命をどうすることもできない自分の無力さを痛感していたのだろう。その場の状況を変えたのが、「徳、もう帰ろう」という「僕」の言葉であった。
 確かにこの言葉はその場の状況を壊すものだったのかもしれない。だが、少年の「僕」は確かに何かを感じ取ったのである。この世の中には個人の力ではどうすることもできない定めが厳然と存在する。このとき「僕」が感じた「悲哀」はそのことを受け止める機会にもなったのではなかろうか。
 あれから12年が経つ。徳二郎は今では立派な百姓となり、二人の子供の父親だ。だが、女のその後を「僕」も、そして徳二郎も知らない。