山田美妙 『この子』 2017年10月
「わたし」(桃山)は医者で、「何でも物を丁寧に見たり考へたりする」性質がある。八重子という婚約者がいるが、「わたし」の目にも彼女は「容貌」「気象」「品行」のいずれにおいても「完全」に見える。
その「わたし」に差出人不明の手紙が届いた。中には八重子らしき写真も同封してある。その裏には「極(ごく)したしい――氏へ 八重より」と英文で書かれてあった。この写真は差出人の友人(男性)が所持していたもので、八重から直接貰ったとのこと。これが「わたし」の心を騒がせるきっかけとなった。
「わたし」は写真屋の店頭で八重子と瓜二つの顔写真を見つける。そこには東子爵令嬢との説明がされてあった。この目で確かめたい誘惑に駆られた「わたし」は婚礼の前日、それまで一度も出席したことのない舞踏会に出席する。そこに知り合いの越谷令嬢がいたため、彼女に東令嬢との仲介をお願いすることになった。実際に会った東令嬢は確かに八重子と多少似ていた。「わたし」が別室で話したい旨を告げ、移動した部屋で東令嬢に八重子を知っているかを尋ねたが、むしろ越谷令嬢の方が八重子とは親密だとのことだった。この時突然部屋の錠が下ろされるというハプニングが起こり、二人は閉じ込められる。あらぬ噂を立てられることを警戒した「わたし」は令嬢に断り、一人窓から逃げた。「わたし」の疑問は全く解消されない。このため「わたし」は眠れぬ夜を過ごすのである。
そして翌日の婚礼当日、再び「わたし」の手元に前回と同じ手跡の手紙が届いた。そこにはつまらぬ悪戯をしたことを詫びる言葉が書かれてあった。「わたし」が「信」に篤いとの噂を聞き、それを試してみたい気持ちがあったそうだ。以前同封した写真は八重子本人から貰い受けたものであるとのこと。「わたし」が決して他言せず一人で心配する様子を目の当たりにして恥じ入る気持ちになったという。婚礼にも出席するとのことだった。
婚礼の席で、越谷令嬢が「御近い内、妾(わたし)は八重子さんの御肖像を精一杯に書(かい)てそして独文で賛をして上(あげ)ますつもり」と言ったところ、八重子が「あゝ越谷さんは写真から御描きあそばすのが御得意でゐらツしやいますからきつと御美しいのが出来ましやう」と言葉を返す場面がある。もはや明らかであろう。あの手紙の差出人、そして悪戯の張本人は越谷令嬢だったのである。そして二度目の手紙で述べられた謝罪の言葉が決して偽りでなかったことは、婚礼の日に彼女が「わたし」に尽くしてくれた態度、あるいはその後東令嬢と「わたし」についての悪評が立つと火消しを務めてくれたことに端的に表れている。
最初に手紙と写真を受けとった時の「わたし」の衝撃がどれほどのものであったのか。それはその後の「わたし」の動揺した行動に伺うことができる。それがまた人間らしいところでもあるのだ。