(183)『淫売婦』

葉山嘉樹『淫売婦』   2020年7月

小田島 本有

 この作品の冒頭には「この作は、名古屋刑務所長、佐藤乙二氏の、好意によって産れ得たことを附記す―1923、7、6―」との一文が記されている。当時獄中にあった著者によって書かれたこの作品は検閲を経て日の目を見た。
 「私」は10年前に起きた出来事を語り始めるが、それが事実だったのか幻想だったのか曖昧になるほどの「妙な思い出」であったことを告白する。横浜の南京街付近で三人の男たちに恐喝され、2分の金と引き換えに連れ込まれた倉庫のようなところで衰弱した若い女の裸体と遭遇させられるという話は確かに尋常なことではない。
 この作品では悪臭に関する記述が頻繁に出てくる。最初この倉庫に入ったとき、中はほぼ暗やみの状態だった。しだいに目が慣れてくると、そこにあったのは全裸姿で仰向きに寝た若い女性である。当初「私」はそれを死体だと思った。そこには腐敗臭が漂っていたし、肩から枕にかけては汚物や黒い血痕が散らばっていたからである。だが、かすかに吐息が聞こえることで、「私」はそれがまだ生きていることを確認できたのだった。
 「私」は当初勘違いをした。「蛞蝓(なめくじ)」と「私」が称する三人の男たちがこの彼女を餌に金を搾り取ろうとしている。そう思った「私」は義憤に駆られてそのうちの一人を殴った。だが、事実はそうではなかった。彼らは女の友達だった。このことを知らされたとき、「私はヒーローから、一度に道化役者に落ちぶれてしまった」。女がこのような状態に晒されているのは彼女がむしろ望んだものである。その代わり、男たちはこの女に決して淫売はさせないよう、周到に注意を払っていた。
 「病気なのはあの女ばかりじゃないんだ。皆が病気なんだ。そして皆が搾られた渣(かす)なんだ。俺たちゃみんな働きすぎたんだ」と男は語る。働き過ぎて命を擦り減らした結果、女は肺結核と子宮癌を患っているという。余命もわずかの状態だ。「私は淫売婦の代りに殉教者を見た。彼女は、被搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた」と「私」は語る。
 表へ出て階段を下るとき、溜まっていた涙が「私」の眼からポトリとこぼれた。ここには虐げられた存在である女に対する同情、憐れみがある。
 「淫売婦」が発表されたのは1925年。翌年葉山は「セメント樽の中の手紙」を発表する。いずれも貧富の格差が生じる中で虐げられた側に焦点を当てた作品だった。「淫売婦」発表の年、わが国では普通選挙法が制定される。その一方で、政治運動の活発化が政府の転覆をもたらしかねないことを恐れる体制側は治安維持法も同時に制定させた。
 「淫売婦」はしだいに暗雲が立ち込める時代の流れを象徴する作品だったのである。