大塚楠緒子『上下』 2020年11月
小田島 本有
大塚楠緒子と言えば夏目漱石が思いを寄せており、友人小屋保治が彼女の婿養子となったことが彼の松山行きのきっかけになったという噂もあるくらいだ。『硝子戸の中』でも漱石は彼女の姿を実に印象的に描いている。楠緒子は35歳の若さで亡くなるが、その際に彼女の死を哀悼する「有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中」という俳句を漱石が詠んでいるのは有名な話である。
楠緒子は小説も書いたが、漱石の影響もあったと言われる。『上下』は小品であるが、暑い日盛りに荷車を引く貧しい夫婦と、豪華な西洋館で暮らす若い男爵夫婦を交互に随時視点を変えながら対照的に描いた作品である。
荷車を引く夫婦。妻は嬰児(あかご)を背負っている。化粧をさせれば人目も惹こうという顔立ちの彼女は、汗と埃に塗れながらも決して卑屈になっていない。何の不足も感じることなく生き生きとした姿が印象的だ。一方の夫は自分と一緒になったばかりに妻をこのような境遇にさせてしまったことを「気の毒」に思っているが、そのことを口にすると「これほど親切にしてもらっていてさ何が不足だろうそれにこんな可愛い坊やまでも出来ているじゃないか」と、妻は全く気にしていない。そして休憩中に彼らは目の前の立派な邸宅を見上げるのである。
そこは男爵夫妻の家であった。語り手の視点はその中へと移動していく。
そこでは「そんなに私がお気に入らなければ、私は生家へ帰して頂きましょう」と言い出す妻と、それを苦々しく思って反論する男爵がいた。諍いの原因は妻の浪費癖にあった。夫が我慢しきれなくなったのである。妻にしてみると夫は初めから「交際に重きを置く」という主義であり、妻はそれに従ったに過ぎない。しかし、その浪費癖は最近では目に余るほどになり、男爵の母親もこの嫁を疎ましく思うようになっていた。妻にしてみると姑が自分のことを「生意気」「出過者」だと女中にまで言うものだから、女中たちにも馬鹿にされるのが我慢ならない。二人の間には男の子がいる。男爵が「子どものあることも考えてくれんでは困る」と言うと、妻は「彼児(あのこ)は貴君、ああして乳母に馴染んでおりますもの、私がおりませんだって構いは致しません」と全く意に介していない。そしておそらく女中なのだろう、「お浦」という名前を出して「貴君もたしか御気に入りのはずで御座います、私のおらんほうが丁度よいかも知れません」と言い出して夫を激高させる始末であった。このようにこの男爵夫妻の間では深い溝が生じている。
荷車を引いていた若夫婦は、見上げた西洋館の中でそのような光景が演じられているとは想像すらしていない。この二つの夫婦の極めて対照的な姿が浮き彫りになる。
確かにあまりに単純で図式的に過ぎる小説だという見方はできるだろう。それでもなんとなく好感の持てる作品である。