(204)『鯉』

井伏鱒二『鯉』  2022年4月

                小田島 本有

 井伏には若い頃、青木南八という親友がいた。その青木は結核のため25歳で夭折する。『鯉』は青木からもらった白色の鯉をめぐって綴られた短編である。作品では鯉をもらって6年目に青木が亡くなったことになっているが、そもそも二人の出会いは大正8年、青木の逝去は大正11年であり、小説は事実とは異なる。
 青木は1尺もある鯉を進物として「私」にくれた。「私」はそれを自分の下宿の中庭の瓢簞池に放ったが、やがて転居することになる。新しい素人下宿には瓢簞池はない。そのとき「私」は青木の愛人の家の泉水で鯉を預かってもらうということを提案し了承してもらった。このとき、「私」は「魚の所有権は必ず私の方にある」と力説している。作品には「私のこの言葉をむしろ青木南八は、彼に対しての追従(ついしょう)だと思ったらしく、彼は疎ましい顔色をした」との一文がある。「私」に追従のつもりはない。だが、青木は親友に心理的な負担をかけたのではないかという懸念があったのだろう。
 青木が亡くなってすぐに「私」は青木の愛人に手紙を出し、「貴殿邸内の池畔に釣糸を垂れる」ことを許可してもらいたい旨を願い出た。ほどなくして先方からは「葬があって間もなく魚を釣るなぞと仰有るのは少し乱暴かとも存じますが、よほどお大事なものと拝しますれば、御申越の趣承知いたします」との返信があった。この結果、「私」は裏門を開けてもらい、鯉を釣り上げることができた。このとき彼女の立ち会いはない。池畔には枇杷の実が黄色に熟していて食欲がそそられた「私」がそれらを釣竿で叩き落とし、無断で食べるという不謹慎ながらユーモラスな場面も描かれている。
 「私」がこの鯉を放ったのは早稲田大学のプールだった。学生たちが泳いでいる間、鯉は姿を見せなかったが、ある夜明けにそこを訪れたとき、「私」はこの鯉が泳ぎ回るのを発見する。しかも鯉の後には、「幾ひきもの鮒と幾十ぴきもの鮠(はや)と目高(めだか)」が遅れまいと付き纏っていて、その姿はまさに「王者の如く」感ぜられたのである。
 やがて木の葉が落ち、氷が張る。ある朝、氷の上には薄雪が降った。「私」が長い竹竿を拾い、それで氷の面に3間以上もある白色の鯉の絵を描いて満足するところで作品は終わる。白色の鯉は青木と「私」を繫いでいたものの象徴と捉えることができよう。
 もともと文学の才能に恵まれていた青木は生前井伏に創作を奨めていた。井伏が雑誌に自らの作品を発表するようになったのは、青木が亡くなった1年後のことである。そう考えるならば、この白色の鯉が広いプールに解き放たれ、やがて多くの魚たちを引き連れた王者のたたずまいを見せていたことは、極めて象徴的な意味を持っていたと言わざるを得ない。