(60)『いのちの初夜』

北條 民雄 『いのちの初夜』 2010年4月

小田島 本有    

 北條民雄が癩病(ハンセン氏病)のため東京東村山の全生病院に入院したのは昭和9年、彼が20歳のことであった。この日の体験を小説化したのが『いのちの初夜』である。
 作品は尾田高雄が不安に駆られながら、辺鄙なところにある癩院に近づく場面から始まる。彼にとって、癩院は日常世界とは一線を画された別世界である。作品中に<地獄><監獄><化物屋敷>といった表現が見られるのは、彼にとってそこがまさに恐怖と不安の対象であったことを示している。
 入院の二日前、彼は江の島へ赴く。自分が死ねるかどうか「もう一度試して見たく」なっての行動だった。しかし、岩頭に立ってみると、死に切れない自分の姿に気づかされる。
 彼は入院当日も死の誘惑に駆られている。彼は垣を乗り越え、雑木林の中に入って行く。このときの彼も「俺は自殺するのでは決してない。ただ、今死なねばならぬやうに決定されてしまつた」と考えている。このように彼は自ら積極的に死を望んでいるのではない。それが証拠に、彼が頭上の栗の枝に帯をかけて自らの首を引っ掛ける場面があるが、このとき履いていた下駄が引っ繰り返って帯が急に食い込み、彼は無我夢中になってもがいている。
 この光景を目撃していたのが、尾田と同室で彼の付き添いでもあった佐柄木だった。佐柄木は五年前に自分が入院した時に味わった苦悩と同じものを尾田の中に見出していたのである。彼は尾田に「兎に角、癩病に成り切ることが何より大切だとおもいひます。」と語る。彼が「一度は屈服して、しつかりと癩者の眼を持たねばならない」と述べるのは、決してあきらめることを尾田に勧めているわけではない。彼はここで、己の運命を積極的に受け入れることからしか本当の人生は始まらないことを訴えているのだ。
 彼は寝入っている患者たちを目の前にして、「あの人達は、もう人間ぢやないんですよ」と言う。「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。(略)けれど、尾田さん、僕等は不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かへ)るのです」興奮しながら語る佐柄木は、深夜の寝静まったころもくもくと小説の執筆に勤しむ男でもあった。限られた時間の中で焦燥感を覚えながらも書き続ける佐柄木は、ある意味において作者の姿でもある。書けなくなるまで努力することを誓う佐柄木に尾田は勇気づけられる。「いのちの初夜」とは、再生の誓いを立てた夜のことに他ならない。
 北條民雄が腸結核のため23歳の生涯を閉じたのは、『いのちの初夜』が発表された翌年、昭和12年のことであった。