(80)『杏っ子』

室生 犀星 『杏っ子』2011年12月

小田島 本有    

 生涯にわたって自伝的作品を書き続けてきた室生犀星が晩年に書いた集大成、それが『杏っ子』である。
 犀星は私生児として生まれ、養父母のもとで育てられた。『杏っ子』の前半は平山平四郎が養母おかつから過酷な仕打ちを受けるさまが描かれているし、後半は結婚した平四郎に女の子が生まれ、彼女は杏子(杏っ子)と名付けられる。その杏子が漆山亮吉と結婚するものの、二人の間に越え難い溝が生まれ、やがて離婚に至るプロセスが語られていく。
 平四郎と杏子は親子であるが、娘の結婚が危機に陥ったときの二人の会話のやりとりは親子というよりもむしろ友達のそれに近い。夫婦喧嘩をして実家に戻った杏子が「今夜はうんとやって来たわ。」と言うと、平四郎は「そうか夫婦なんてものは生涯の格闘だからな、幾らでもやれやれ。男は急所をつかれると二の句がつげない正直者ばかりだから、鋭く突き込むんだね。」と答える。平四郎は著名な作家であり、娘を親の権威で制圧するタイプの親ではなかった。それがある意味において対等な立場で話をする親子関係を可能にしたと言えるのではないか(杏子は父親を「平四郎さん」と呼んでいる)。娘婿である亮吉が作家志望でありながら、なかなか日の目を見ないことで義父に対するコンプレックスを屈折した形で増幅させていったのも故なしとしない。
 亮吉が定職をもたないなか、杏子は質屋に行って借金をしたり、大切なピアノをお金に換えたりして生活費を賄おうとする。やがて平四郎の提案で二人は居候の状態になる。これらのことは亮吉のプライドを傷つけることになったのだろう。亮吉の行動がエスカレートしたときも、杏子の心の中には「こんな人くらいで自分をこわされてはならない。」という意識が生まれる。この意識そのものの内に相手に対する蔑視があるのは否定できない。そのことは亮吉には痛いほど分かっていたはずである。
 『「甘え」の構造』を書いた土居健郎によると、すねたり反抗したりすることも甘えの行為に他ならない。その点で、亮吉の振る舞いは甘えそのものである。ここでは甘える対象が必要なのだ。相手が正面から自分に向き合ってくれないのは、その当人にとっては自分を蔑ろにされたのに等しい。彼の行為が日増しにエスカレートし、やがて義父が命をかけて大事にしていた庭園を杏子の弟である平之介(彼も未熟な結婚の末離婚していた)と二人で破壊するに至ったのは、ある意味において必然的なことだったのではないだろうか。
 平四郎は亮吉に対して興奮した態度をとらず、泰然自若としたところがある。自分の意のままに娘を動かそうという作為も見られない。その鷹揚さが離婚後の杏子を救っているとも言えそうだ。