島田雅彦 『彼岸先生』 2013年1月
島田雅彦は『漱石を書く』(岩波新書)の中で、『彼岸先生』の執筆には「『漱石学』の枠内で批評的に行われていた漱石の偶像破壊、もしくは『脱構築』とはまったく別のレベルで、漱石を書き換えてしまいたいという欲望」があったと述べている。『彼岸先生』に登場する「先生」が「プロの嘘つき」を自認し、さまざまな女性遍歴を重ねる人物として描かれるのも、漱石の『こゝろ』における「先生」が極めて倫理的な存在として描かれていたことに対する明らかなアンチテーゼとしての意味合いがあった。
「ぼく」(菊人)が「先生」のファンとなり彼を解釈しようと努めること、「先生」の奥さん(智恵子さん)が結婚後の「先生」が変わってしまったことを感じ、「私に何か隠している?」と夫に尋ねていること、作品中で「ぼく」の父親が倒れること、さらに「先生」から「ぼく」に手紙と日記が送られてくることなど、作品は随所において『こゝろ』を想起させる。だが、作者はそれらをことごとく意図的にずらしてゆく。「先生」は「ぼく」の解釈を拒否しようとするし、倒れた父親は死に至ることもない。「先生」は手首を切って自殺を図り、病院へ送られるが、やがて退院し、奥さんのもとへ戻ると同時に、「先生」は「ぼく」との訣別を宣言する。
ニューヨーク時代、「先生」は疲れてバスタブの中で寝ているところをパットに目撃され、「君は自分がしたくないことを無理してやっているんじゃないか」と言われている。その表情が「苦痛に耐えているみたい」と評した彼の言葉は「先生」の本質を言い当てていたと言えよう。「先生」がかつて「心にドン・ファンを」というエッセイを書いたのも、〈父殺し〉のプロセスとして、好みでもない女性達との恋愛遍歴を余儀なくされたドン・ファンに対する親近感が「先生」の側にあったためであろう。
退院後の「先生」がバカげた言葉による歌を口ずさみ、奥さんがピアノで不協和音を奏でていくシーンがある。結婚以来黙りこくっていた二人が新たなスタートを切り始めたことを示す象徴的な場面だ。「私は座敷犬になる。私を監禁してくれ」という夫の言葉を聞いて、妻は「新しい冗談が始まった」と思うが、このとき彼女は「どんな冗談にもつき合ってやるつもりだった」と書かれている。「そもそも冗談をきっかけに一緒になった夫婦なんだから」と思う彼女には、もはや家出をしたころの心の揺れはない。
「彼岸先生」とは「ぼく」が思いついたネーミングである。それは「先生」が川の向こう岸に住んでいるという単純な理由からだった。だが、「先生」から送られた日記の一つが「彼岸日記」であること、チベットへ渡った諏訪響子からの手紙に、ここでは彼岸と此岸とが陸続きになっており、「先生はそういう場所に向っている途中なんだ」という記述があるのを見ると、ことはそう単純ではない。そもそもそのような解釈を「先生」が拒否するのかもしれないが。