開高健 『夏の闇』 2013年2月
『夏の闇』は「私」と「女」が10年ぶりの再会を果たし同棲生活を始めるものの、やがて別れるに至るプロセスを綴った物語である。
10年前は「女」が日本を捨てる覚悟を抱きつつ、多くを語らずして「私」のもとを去った。だが、今度は「私」がベトナム情勢を伝えた小さな記事を「女」から示されたことが契機となり、ベトナムへ赴くことを決意する。立場は逆転していた。
再会後の「私」は「女」との愛欲に耽ることはあるものの、人に会おうともしないし、外出すらもままならないほどの無為に陥っていた(唯一の例外は魚釣りに出かけたときぐらいである)。
「女」は言葉もよく分からぬ土地で苦労を重ねた末、今では奨学金を得ながら博士論文を書いている。自分の部屋に日本人の男性が同棲していることは周囲も知っている。彼女にしてみれば、「私」が彼らと会ってくれることを大いに望んでいただろう。「たまには私の顔もたててよ」という「女」の言葉はそのことを端的に示している。それでも応じようとしない「私」に対して、「女」は「あなたは自分しか愛してないんだわ」「自分すら愛してないのかもしれない」と言い放つ。正鵠を射た言葉と言えよう。
その「私」が、ベトナム情勢を伝える小さな記事を「女」から見せられ豹変した。コミュニスト軍がサイゴンに総攻撃をする可能性を示唆した記事に触発された「私」は、地元の通信社支局を訪れ、3年前に新聞社の臨時移動特派員としてもらった身分証明書や米軍の従軍許可証を提示して、情報収集に努める。
その変貌ぶりに驚いた「女」は3年前に何があったのかを尋ねる。「私」が語ったのは自分のいた大隊が一つの戦闘で200人から17人に激減したという事実、自分がその17人の1人であるということだった。だが、この戦闘も地元の新聞ではたかだか数行の扱いだったのである。一種の極限状況を潜り抜けてしまった「私」にとって、その後の3年間が色褪せて見えてしまったのは致し方ない。「女」の示した小さな記事に「私」が殊更過剰な反応を示したのは、かつての光景が「私」の脳裏にまざまざと甦ったからである。
「女どころか、あなたは自分すら愛してないのよ。だから危険をおかしちゃうの」という「女」の言葉は確かに正しい。しかし、もはや「私」をとどめる術は「女」にはなかった。無意識的に「お母さんみたいになりたくない」と「女」が漏らす場面がある。だが、彼女にはこの言葉を発したという自覚はなかった。
「子どもがほしいわ、いまほしいわ」との「女」の言葉にじっとすることしかできなかった「私」。同棲生活をする中でいつしか「主婦」の姿を示していた「女」。
再会したはずの二人がいずれ別れることは必然的なことだったのである。