古井由吉 『杳子』 2013年9月
「杳子は深い谷底に一人で坐っていた」非常に印象的な一文でこの作品は語り始められる。
この作品で名前が与えられているのは杳子ただ一人。「杳」の字そのものが、奥深く暗いことを意味している。この主人公の名前そのものが、彼女の人物像を暗示していると捉えることもできよう。岩の上でおよそ3時間坐っていた彼女を連れて下山し、その後彼女と付き合うようになる相手は全編を通して「彼」と呼ばれるだけである。
杳子は神経を病んでいる。そもそも彼女が岩の上に腰を下ろしていたのも、周囲の岩が落ちてきそうな感覚に襲われ、動けなくなっていたからであった。
3ヶ月後駅のホームで偶然再会することがなければ、二人のその後の関係はありえなかった。彼女はしばしば気分が激変する。待ち合わせの場所への道筋がはっきり認識されていないと迷子のようになる。食事の際、ナイフとフォークを使うことに心理的な抵抗を覚える。このような姿を目の当たりにするにつけ、「彼」は杳子の病気に恐れを抱くようになった。だからと言って、「彼」は杳子から逃げたわけではない。むしろ、「彼」は彼女から離れられなくなるのである。
彼女は早くに両親を失い、今では九つ違いの姉の家族と同居している。「お姉さんに似てたまるもんですか」と言う彼女は、自分の姉がむかし「おかしかった」と語る。そこで語られていることは現在の杳子そのものと重なり合うものであった。杳子によれば、その姉はとうとう自分の部屋にこもりきり、風呂にも入らないために5日もすると部屋の中に臭いがこもったという。その姉も5年前には結婚し、今では二人の子供がいる。
やがて「彼」はその姉から「妹を病院にやりたいんです」と頼まれる。姉妹の間ではすぐに喧嘩となり、彼女を納得させるには「彼」の助けを借りたいのであった。
杳子には健康になることに対するある種の引っかかりがあった。それは自分の癖を気味悪がったりしなくなることで、「彼」が自分に耐えられなくなるのではないか、という不安である。だが、彼女は「彼」に出会い、人の癖を好きになることが分かったような気がする、とも語る。このとき、「彼」は杳子を見るとき少し途方に暮れたような表情になり、それから肌が触れ合ってもじっとする癖があることを知らされる。自分の癖は意外と分からないものなのだ。「彼」はそれを「中途半端」と感じるが、杳子はだからこそ自分が向き合っていられると言う。
やがて彼女は「明日、病院に行きます」と語る。相手に完璧さを求めるのではなく、互いの「中途半端」さを認めることは、それが現実に生きて行くための第一歩なのだろう。
『杳子』は昭和45年度下半期の芥川賞受賞作品である。