小杉天外『魔風恋風』 2017年2月
『魔風恋風』が発表されたのは明治36年のこと。わが国最初の女子高等教育機関である日本女子大学校が開校したのは明治34年であり、それを契機に女学生がヒロインとなる小説が次から次へと発表された。だが、彼女たちに対する世間の評判は決して温かいものばかりではなかった。
『魔風恋風』は、帝国女子学院創立10周年記念の日に、校門で自転車事故を起こした女学生が腕を骨折し入院を余儀なくされる場面から始まる。この女学生は萩原初野といい、類い稀なる美貌の持ち主であるばかりか、成績も優秀でしかも身持ちが堅い。三週間の入院が必要と医者に言われていたにもかかわらず、彼女は数日で退院した。苦学生であった彼女には長期入院は到底考えられなかった。
彼女の念頭にあるのは学校を卒業して自立することである。父親が亡くなった今、家は居心地のよいところではない。母は後妻で妾上がりと言われており、異母兄は母親や初野たちに対して冷ややかだ。初野の妹である波が二度までも家を飛び出して姉のもとへ逃げて来たのもこのためである。
退院する際、初野の入院費が何者かによって支払われていることが判明した。これが夏本子爵の養子東吾であることが後で分かる。彼は夏本家の娘である芳江と将来結婚することになっているが、その芳江が初野を姉のように慕っていた。初野もしばしば芳江の家を訪れていたため東吾とも親交があり、彼には日頃から信頼を寄せていた。
東吾は芳江との結婚を早く奨めようとする周囲からの働きかけに何かと理由をつけて応じようとしない。そこには密かに初野への思慕の情があった。やがて初野は東吾の気持ちを知ることになるが、芳江のことを思うと初野はなかなか踏み切ることができない。
やがて異母兄との関係が決定的に不和となり、初野は妹の波を抱えてより一層の困窮を強いられることになる。このとき彼女には安い家賃で住めるところを探したり、自分の持ち物を売ったりするくらいしか方法がなかった。そればかりか妹を社会評論家のもとに奉公に出すこともしている。そのような彼女たちに経済的援助を申し出る殿井恭一という男も現れるが、彼も初野を口説くことがあったため、初野は頑としてこれに応ずることがない。このようななか、初野が体調を崩していったのは無理もないことだった。
いったんは自分たちの思いを貫こうとした東吾と初野だったが、東吾はとうとう周囲の圧力に屈する形で芳江との結婚に同意する。その一方で脚気衝心を起こした初野は夭折する。死ぬ間際まで卒業試験のことを口にしていた姿は痛々しい。あれほど勉学に意欲を燃やし、身持ちが堅かったはずの初野はその美貌が逆に仇となったとも言える。自立にこだわる彼女は人に助けてもらうという選択肢を持たなかった。女性の自立の難しい時代状況をこの作品は浮かび上がらせている。