泉鏡花『婦系図』 2017年3月
鏡花が元芸妓だった女性と同棲していることを知った師匠の尾崎紅葉が二人の仲を裂いたこと、やがて紅葉の死後この二人が結婚したことは文学上の常識である。『婦系図』はこの事実が下敷きとされているものの、作品は原作通りではないし、映画化され、有名になった「別れる切れるは芸者のときに言う言葉」の台詞も原作にはない。そのため原作を読んだことのない人々の間では『婦系図』はかなり誤解されていると言うべきだろう。
この作品は前篇、後篇の二部構成で成り立っているが、両者の趣は全く異なる。前篇では酒井俊蔵によって引き裂かれた早瀬主税とお蔦の悲恋物語、後篇では娘を踏み台にして足場を固めていった河野家の実態を早瀬が浮き彫りにし、破滅に至らしめる物語という捉え方ができるだろう。この作品のタイトルを踏まえるならば、作者の主眼はむしろ後篇の方に置かれていたと言うべきかもしれない。
そもそも早瀬が師匠の酒井の怒りを買ったのは、彼が酒井に隠れてお蔦と同棲していたという事実もあるが、自分の娘である妙子にまつわる縁談を早瀬の一存で断っていたからである。確かにこれは酒井からすれば早瀬の出すぎた行為と思えたのも仕方のないことであろう。だが、後篇で明らかになるのだが、妙子は正妻の子ではなく、芸妓だった小芳が実母だった。お蔦と小芳は同じ芸妓として親しい仲であったし、早瀬は妙子の出生の秘密を知っていた可能性がある。河野の身辺調査が進めば師匠の体面を傷つけることにもなりかねないことを彼は恐れたのかもしれない。だが、酒井は妙子の縁談を阻止しようとした弟子の振る舞いが許せなかったのである。酒井は早瀬に自分をとるか、お蔦をとるか選択を迫った。その結果早瀬は師匠を選んだ。その後早瀬は静岡に居を移し、彼とお蔦は顔を合わせることがなかった。なぜなら、後篇においてお蔦は病気のため早逝してしまうからである。
後篇における早瀬は今は嫁いだ河野家の娘たちと接触を持ち、彼女たちを靡かせるような行動を起こしている。彼の究極の攻撃対象は彼女たちの父親である河野英臣であった。娘の結婚はいわば政略結婚であり、娘はたんなる持ち駒にしか過ぎない。そこには個としての娘に対する顧慮は望むべくもないのだ。早瀬は嫁いだ娘たちが心満たされず、結果として自分と深い仲となった事実を突きつけることで英臣を糾弾しようとしたのである。怒りに駆られた英臣は短銃を取り出し、早瀬を狙おうとするがそのとき立ちはだかったのが道子、菅子という二人の娘たちだった。ショックを受けた英臣は短銃を自らの脳に向けて発射し自害した。一方、早瀬もその夜毒を仰いで自殺する。その急展開ぶりに驚いた読者も多かったに違いない。
作品としてまとまっているとは言いがたい。しかし、ここには鬼気迫るものがある。