島崎藤村『春』 2017年4月
『破戒』から『春』へ藤村の作風は大きく変わった。そこでは社会小説的な側面は影を潜め、もっぱら青春を回顧する作者の姿がある。
『春』は作者がモデルとなった岸本を視点人物に据え、『文学界』のもとに集まった若き仲間たちの群像が描かれる。そこにおいて大きな柱となるのが、一つは岸本の勝子に対する恋であり、もう一つは岸本が敬愛していた青木の自殺に至るまでの経緯である。
勝子は岸本の教え子であった。彼が放浪の旅に出ざるを得なかったのも、彼女への思いをどうにもできなかったからである。作品を読む限り勝子も岸本を思う心があったことが伺える。だが、彼女には親の決めた許嫁がいた。親の意に逆らうことはできない。友人の菅が二人を会わせるように場を設定する場面も見られるが、そのときの二人はぎこちなさを免れない。後に岸本はもはや慕う気持ちはないこと、許嫁のもとへ行くよう勝子に手紙を送る。だが、これが本心からのものでないことは、彼が柳の下で涙する姿からも伺えよう。
やがて勝子が妊娠の悪阻の状態が思わしくなく、若くして亡くなったことを岸本は人づてに知らされる。
一方、青木は評論で恋愛の意義を唱えていた。そして彼は操と恋愛結婚をする。だが、青木はしだいに結婚生活のしがらみの中でもがき始めるのだ。彼は無力感に苛まれるようになり、教会の仕事も辞め文筆だけでやっていこうとするのだがそれもうまくいかない。「牢獄」の中にいるような感覚に襲われるようになり、その挙動にも妻は不審を抱くようになる。ある時青木は「ああ、お前も敗北者なら、俺も敗北者だ――どうだね、いっそ俺と一緒に……」と心中を持ちかける。そのとき操は「子供がありますから、私は厭です」ときっぱりはねつけた。青木はやがて縊死をする。彼の自殺の原因は友人たちにも分からない。そして作品には、「妻子を置去にして死ぬという法があろうか、こういう心地が未亡人の顔色に読まれた。何となく彼女は侮辱でもされたかのような眼付をした。」との一文がある。そのように捉えたのは語り手であることを忘れるべきではない。
青木の死後、岸本を取り巻く状況も一変した。兄の民助が信用していた男に欺かれ、偽造の公債証書を使用したことで収監されたのである。民助は田舎から母親たちを呼び寄せて一緒に暮らそうとしていた矢先であった。岸本はこうして家の問題に直面することになったのである。その岸本に仙台の学校の教師にならないかという話が持ちかけられた。「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」。こう嘆息しながら仙台へ向かう岸本の姿を描いて作品は幕を閉じる。
青木は北村透谷、勝子は佐藤輔子がモデルだとされている。藤村は青春から遠く離れた時点でそれを対象化する視点を得たのである。