田山花袋 『田舎教師』 2018年10月
『田舎教師』は田山花袋が小林秀三の日記を読んだことで生まれた作品である。言うまでもないが、主人公林清三と秀三はイコールではない。
中学校卒業者であった清三は多くの仲間たちと同様、上級学校への進学を望んでいたものの家庭の事情でそれが果たせず、弥勒小学校の教員となった。「あゝわれ遂に田舎の一教師に埋れんとするか」と記された日記に彼の思いが凝縮されている。彼の失意はもう一つあった。北川美穂子に親友の加藤郁治も思いを寄せていたことを知り、自ら身を引いた。そのことを知らぬ郁治は美穂子との仲を深めていく。しだいに親友との間が疎遠になるのは必然の成り行きだった。
当初実家のある羽生から弥勒までは四里の距離があった。後に彼は成願寺に転居することになる。ここからだと距離は二里だった。しかもここの主僧は東京の文壇でも知られた存在である。だが、彼の眼に映る主僧は若い時の希望を捨て運命に服従しているように見えた。 実家では父親の仕事がうまく行かず、母親からは金銭の援助を要求され、清三はしばしば金を渡す。一方、若い彼は中田の遊郭に通うことを覚え、馴染みの女郎もできる。そのような中にあって、彼の生活はままならなくなり周囲から借金を重ねるまでになった。やがて女郎は身請けされるが、これが一つの機縁となったのだろうか、その後彼は改心し、その行動が変わる。上野の音楽学校も受験するが、田舎の小学校でオルガンを弾いて唱歌ぐらいしかこなせない彼にこの受験は到底かなわぬことであった。
清三は「色男」であったらしいことが、他の登場人物の言葉で伺える。だが、その彼は「蒼い顔」「沈んだ調子」に変わり、やがて痩せ、通勤すらも甚だしい疲労を覚えるようになってきた。体調の深刻化に伴い、彼は郁治を通じ、父親の郡視学の働きで転任をさせてもらいたいと依頼するが、欠員がないとのことでそれも実現しない。そもそも、もはや勤務に耐えられないほど彼の身体は衰弱していた。彼の身体を診た医師は肺病と診断した。もう手遅れだという。
時局は日露開戦の最中であった。旅順が陥落し、国中が沸き立つ中、何の働きもできない清三は情けなさを痛感する。そして遼陽が占領され、「万歳! 日本帝国万歳」の歓呼が溢れる中、清三は若い命を終える。
清三の教え子の一人に田原秀子がいた。彼女が師範学校生だった頃、母校を訪れ再会したことで二人は文通を交わすようになっていたのである。清三が没して一年後、彼の墓を訪れる女学生風の娘がいた。和尚に墓の場所を尋ねたという。羽生の小学校の女教員であるらしいとの噂をもって作品は幕を閉じる。清三の生涯は決して意味のないものではなかった。結末において読者はそう確信できるのだ。