寺田寅彦『団栗』 2020年10月
小田島 本有
寺田寅彦が結婚したのは熊本の五高在学中の19歳。相手の夏子はまだ14歳だった。この早婚には親同士の強い意向が働いていたらしいが、二人の仲はよかったという。最初の3年は熊本と高知で別居生活を余儀なくされ、二人が東京で一緒に暮らすようになったのは寅彦が東京帝国大学の学生となってからである。だが、この二人が共に暮らせたのは1年足らず。なぜなら夏子が喀血し、既に身重であった彼女が高知で療養生活をするようになったからである。彼女が亡くなったのは結婚して5年後。まだ19歳だった。
『団栗』は夭折した妻の思い出を語った小品である。
妻が喀血したことで下女が郷里に帰ってしまった。その後釜に入ったのが美代。時々しくじりもするが、美代の気立てのよさに夫婦は心を慰められる。
ある日、医者の許可を得て、「余」は妻を連れて植物園へ赴く。出かける前に髪を整えることに思いのほか時間がかかる妻にしびれを切らした「余」が機嫌を損ねると、妻が縁側で年甲斐もなく泣き伏している姿に接し、「余」がなだめすかすという微笑ましいシーンも描かれている。
この作品で印象的なのは、妻が団栗を見つけ拾い始めた場面である。最初は左の掌に収まっていたが、今度は帯の間からハンケチを取り出した。「もう大概にしないか、馬鹿だな」と「余」が言うと、「だって拾うのが面白いじゃありませんか」という答えが返ってきて、最後は「あなたのハンケチも貸して頂戴」と言い出す始末。この無邪気な光景に心慰められる読者は多いだろう。このような時間を持てたことじたいが奇跡的だったと言える。
だがこのあと唐突に、「団栗を拾って喜んだ妻も今はいない。御墓の土には苔の花が何遍か咲いた」という表現が出てきて、この妻が亡くなって数年が経過していることを読者は知らされる。「余」は6歳になる忘れ形見のみつ坊を思い出の植物園に連れてきて、団栗を拾わせたところ、子どもは非常に面白がっている。五つ六つ拾うごとに息をはずませて「余」のそばへ飛んできてハンケチに投げ込む姿を目の当たりにし、「余」はそこに「争われぬ母の面影」を見出す。「余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、団栗のすきな事も折鶴の上手な事も、なんにも遺伝して差支えはないが、始めと終りの悲惨であった母の運命だけは、この児に繰返させたくはないものだと、しみじみ思ったのである」。
実に短い結婚生活であった。亡妻の生涯は実に呆気ないものだったが、遺された子供を前にして「余」はこの子をしっかり育てたいと心に誓う。表現は実に淡々としているが、『団栗』は作者の思いが滲み出てくるような佳品と言えよう。