宮本百合子『築地河岸』 2023年1月
夫の啓三が収監中のため、道子は一人で生活を支えなくてはならない。彼女は医療機械雑誌関係の仕事をしており、二か月前にタイプの打てる千鶴子を採用するまでは殆ど一人で仕事をこなしてきた。彼女がいかに仕事に忙殺されていたかは、いつも会う豊岡が大きな膃肭臍(おっとせい)髭の持ち主であったことを千鶴子に指摘されるまで気づかなかったことに端的に現れている。また、紙代や印刷代の高騰で雑誌経営そのものも苦境に追い込まれている。協会の会議で会計報告がされたとき、「こんな小っぽけな団体で、人件費が案外かかっているんですな」という発言が出る。ちなみに道子の月給は50円、千鶴子は25円である。この二人の給与合計分で当時の公務員一人分に相当していたことを考えると、この給与は決して高いわけではない。
道子は夫との面会のあと、通りで千人針を求めて立っている婦人たちに遭遇する。婦人たちは必死に千人針を頼む。だが、同じ人が縫ったらその効果はないと言われており、そのことで当惑するセイラア服姿の女学生たちの会話を道子は耳にする。そしてこのとき、道子は千人針を身に着けて被弾するとかえって危険であることを語っていた医師の言葉を想起していた。その一方で「バンザーイ」の声で出征を見送られる若者の姿を彼女は見た。そしてその若者が「ぼんやり無意味な善良な微笑」をたたえて立っているのを、彼女は見逃さなかった。
そして彼女は会食の約束のあった信一(啓三の兄)と会う。信一がそこで持ちかけたのは、啓三の留守中故郷の田舎から河田の両親を呼び寄せて一緒に暮らしてはどうかということだった。そこで道子が「じゃいっそお義兄(にい)さんのところへおよびになったら?」と提案すると、「そりゃ駄目だ」と言下に否定される。「どだい、うちの奴とおっかさんとがうまく行くもんじゃない」というのがその理由だった。自分の家庭で無理なことを弟夫婦の家庭に押しつけようとする身勝手さは、この場面からも明らかである。道子は当面働きながら、その一方で勉強したい意向を伝えるのだが、信一は、「あんたの気持は、しかし、目下の場合贅沢じゃないか」と疑問を呈する。二人の懸隔は明らかである。
一方、夫の啓三もその手紙の中で、「朝も手だすけしてもらえるし、つかれてかえればちゃんと食事の支度を母がして待っていてくれるようだったら、君も疲れないですむだろうし、時間も出来てきっと勉強にも好都合だと思うがどうだろう」と書いていた。彼もまた「嫁」としての立場を強いられる道子の立場を十分理解しているとは言い難い。
この作品が発表されたのは1937年のこと。この年に日中戦争が勃発し、女性に家庭を通じて戦争協力をさせる政策がとられつつあった。「産めよ増やせよ」が叫ばれた時期でもある。国がしだいに戦時体制へと移行しつつあるなか、その流れに違和感を覚える人の姿が描かれたことの意義は極めて大きいと言わねばならない。