(217)『文字禍』

中島敦『文字禍』  2023年5月

                小田島 本有

 アッシリアのアシュル・バニ・アパル大王は、老博士ナブ・アへ・エリバに文字の聖霊についての研究を命じた。毎夜図書館で怪しい声がし、それが何かの聖霊に違いないと大王が判断したからである。
 当時のメソポタミアはパピルスに文字を書くエジプトとは異なり、粘土板に楔形文字を彫り付けていた。書物を読んでも成果は見出せず、博士は文字と向き合うことを余儀なくされる。すると文字が一つ一つの線の交錯に見えてきて、なぜそれが意味を持つのかという不思議に博士は遭遇する。だが、本来文字は記号であり、書く者と読む者の間に一定の約束事が前提としてある。そう考えると博士が体験した事象は何ら不思議ではない。だが、博士はここに文字の霊を認めてしまった。
 そうなると、人々のさまざまな変化が文字の霊ゆえに思えてくる。なかには見当違いのものもあるが、その中で唯一、「近頃人々は物憶えが悪くなった。これも文字の精の悪戯である。人々は、最早、書きとめて置かなければ、何一つ憶えることが出来ない」というのは真実を突いていると言えるのではないか。
 作品の中では文字に取り憑かれた人びとのことが語られる。書物狂の老人は書物の中だけに世界があり、それ以外のことには全く無頓着。自己の対象化ができておらず、現実世界への対応力は欠如している。だが彼は「幸福そう」である。老博士は彼を「文字の聖霊の犠牲者の第一」と認定した。また、若い歴史家イシュディ・ナブは老博士のもとを訪れ、「歴史とは、昔、あった事柄をいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?」と問いかける。これに対し、老博士は「歴史とは、昔あった事柄で、かつ粘土板に誌されたものである」とし、「書かれなかった事は、なかった事じゃ」「歴史とはな、この粘土板のことじゃ」と言い放つ。過去の歴史において、時の権力者が自己を正当化するために歴史書を遺していた事実を思い合わせれば、老博士の言葉は真っ当であったと言えるだろう。
 文字の霊についての探究を進めていくうち、老博士はその「奇体な分析病」ゆえ人間生活のすべての根底が疑わしいものに見えてきた。彼は研究をそのまま続けることに危機感を覚え、大王への報告の中では、「文字への盲目的崇拝を改めずんば、後に臍(ほぞ)を噬(か)むとも及ばぬであろう」と述べたのである。この報告が大王の機嫌を損ねることになる。当時自ら第一流の文化人を自認していた大王にとって、老博士の報告は許しがたいものだったのであり、老博士は即日謹慎を命じられた。老博士にとってこの処置は思いがけぬものであり、これを彼は「文字の霊の復讐」として捉えていた。
 そして、数日後、大地震が起こり、自室の書庫にいた老博士は数百枚の粘土板の下敷きとなり、圧死した。老博士はこれも文字の霊の復讐と捉えるのであろう。それこそが文字の霊に取り憑かれた人間の悲劇と言えるのではあるまいか。