中里恒子『墓地の春』 2023年6月
中里恒子は長兄がイギリス人と結婚し、ミドリという女の子がいた。このミドリが『墓地の春』に登場するマリアンヌのモデルである。
作品はマリアンヌの埋葬式が山手の外人墓地で行われる場面から始まる。彼女は1920年12月4日に生まれ40年12月8日に亡くなった。たった20年の人生であった。「私」はマリアンヌの叔母にあたり、彼女の10歳上である。
この時代において国際結婚じたいが大変であったこと、そこで生まれた子が「混血児」として苦労を強いられたであろうことは容易に想像できる。作品の中でも、マリアンヌの母親たちが街を歩いている時に小学生たちから「間諜だよ」とささやかれる場面がある。マリアンヌ自身外国人の母親がいることで住み難さを覚えており、「あたし人間よ」という彼女の言葉は、自分の存在価値を示そうとする必死の叫びだったとも言える。彼女は母親の躾の影響もあって、「日本の女らしい伝統」は兼ね備えていなかった。それでも彼女は日本のことを知ろうともしていたし、「あたし、どんな人と結婚するのでしょう」との言葉も、置かれた状況の中で将来への不安が吐露されたものと言うべきだろう。それでも彼女は内面の不安を抱えつつも、周囲には快活な姿を殊更見せようとする少女でもあったのである。
マリアンヌの死後、彼女を外人墓地に埋葬することを強く望んだのは母親であった。外人墓地に入るには日本国籍を放棄しなければならない。この母親は娘の死後にそうまでしても安住の地を与えてあげたかったのかもしれない。マリアンヌが亡くなる丁度1年前、日本は既に太平洋戦争に突入していた。
作品はその一方で、舞台となった外人墓地についての記述が少なくない。墓地管理人M氏は「私」にこの墓地の沿革を語っているし、よその墓から勝手に花を盗んで自分のところに持ってくるポーランド貴族の女性のことも教えてくれる。さらに「私」が迷い込んだ崖下の一角が雑然として汚らしく、陰気な印象を与える墓地であったことを伝えると、М氏はそれがユダヤ人墓地であることを語る。「あの垣根から出て来るひとにすれちがっても、厭な顔をなさるくらい露骨です」とのこと。民族差別はここでも確実に存在していた。
M氏と連れ立って墓地を廻ったところ、「私」は震災で壊れたと思われるような墓と出会う。だが、М氏によると、それは壊れたのではなく、夭折した人をまつるべくわざと人工的に折れた形にしたものであるという。言われてから確かめてみると、そのような墓が次から次へと見つかった。
ところで、そもそもマリアンヌはなぜ20歳で夭折しなければならなかったのか。亡くなる数日前の写真には「寂しい静かな顔つき」の彼女が写っていた、と語られるだけである。彼女の死因についての言及はいっさいない。そのことが読者の想像を余計に掻き立てる結果になっているのだ。