(219)『夏の花』

原民喜『夏の花』  2023年7月

         小田島 本有

 

 「夏の花」は当初「原子爆弾」というタイトルが付けられていた。だが、これではGHQの検閲で却下されることを懸念し、「夏の花」と改題された。発表誌も時事問題を扱う『近代文学』ではなく文芸誌『三田文学』になったのも同じ事情による。
 作品は「私」が街で「黄色の小弁の可憐な野趣」の花を買い、前年亡くなった妻の墓を訪れる場面から始まる。この時の花を「私」は「いかにも夏の花らしかった」と形容している。タイトルの由来はここにある。「私」が原子爆弾に襲われるのはその翌々日のことだ。
 原爆投下の際、「私」は厠にいたため死を免れた。神経質だった亡父がしっかりした構造の家を建ててくれたことが幸いしたのである。
 だが、その後「私」が目にする光景は悲惨そのものだった。その中で自分は生きながらえている事実を振り返ったとき、「私」の心に浮かんだのは「このことを書きのこさねばならない」という思いだったのである。自らの宿命の自覚だった。
 ピカッと光ったと思ったら回転していた。外に出るとやられたのは自分の家だけではなく、あたり一面がやられているのを見て啞然とした。爆弾が落とされたのに穴もあいていない……。妹は「私」こう証言する。
 作品は被災の事実を冷静に叙述している。多くの死体、さらには「助けてえ」「水をください」と訴える人々。「男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかないほど、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに、痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼らは横たわっているのであった」。「私」はこう述べながら、これら「奇怪な人々」を「憐愍(れんびん)よりも、身の毛のよだつ姿」と形容している。そして暗然とした思いで言葉を失い、「愚劣なものに対する、やりきれない憤り」が湧いてくる。
 人は次々に死に、死骸はそのまま放置されている。「私」は次兄の家族と共に馬車に乗っている際、半ズボン姿の甥の死体を見つける。次兄が甥の爪を剝ぎ、バンドを形見にとって名札をつけて立ち去る場面は印象深い。「私」はこの場面を「涙も乾きはてた遭遇であった」と述べている。
 作品の最後ではNという人物のことが紹介される。彼の妻は女学校に勤めていた。そこには多くの死体がありうつ伏せになったそれらを抱き起して「首実験」するも、妻の姿は見当たらない。その後彼は三日三晩、他の場所を巡り歩いて死体と火傷患者をうんざりするほど見た。だが妻はおらず、とうとう彼は妻の勤め先の女学校の焼跡を再び訪れる。果たして妻を見つけることはできるのだろうか。被爆の二日前に「私」が亡妻の墓を訪れて供養していた冒頭部分とはあまりに対照的である。まともな形で供養することもままならない。そこに原爆という現実の重さが伝わってくるのだ。