野間宏 『顔の中の赤い月』 2006年6月
人間にとって過去とは如何なる意味を持つものだろうか。
北山年夫には癒しがたい過去があった。
一つは、彼が偽りの愛の罪を自覚したこと。失った恋人を忘れようとして、北山は一人の女と関わる。相手は彼のそのような心を知りながらも健気だった。彼女は北山が戦地に赴いている間に短い命を終えている。彼女を失った今、そのかけがえのなさを彼は痛切に感じている。
もう一つは、戦地において疲労と飢えで歩けなくなった戦友を見捨ててしまったこと。彼もまた同じ状況に置かれていたのであるから、このことで彼自身が非難される謂れはないはずである。しかし、彼は戦友の最期の姿が目に焼きついて離れない。
北山は過去に囚われて生きている。彼が堀川倉子に惹かれたのも、彼女が絶えず苦しげな表情を浮かべているからであった。
倉子は戦争未亡人である。夫との思い出は彼女にとってかけがえのないものであり、彼女自身、「ほんとうに幸福だった」と述べている。彼女は夫との思い出に縋ることでようやく自分を支えていたのかもしれない。
ここには過去に縛られた男と女がいる。この二人が互いに惹かれ合い、逢瀬を重ねながらも接近するどころか却ってよそよそしくなってしまうのは、読者にとってもどかしくさえあるだろう。
それでも、倉子は作品の最後において、北山と新しい関係に踏み出そうと意を決したようだった。事実、北山は彼女の姿の中から「誘いの空気」が流れ出ているのを感じる。それでも、北山は相変わらず自分の過去に囚われたままだ。
それぞれが癒しがたい傷を負っているのなら、それを互いに分かち合うこともできたはずである。しかし、北山にはそれができない。彼が今こだわっているのは贖罪をする自身の姿であり、これを守るには倉子とそれを分かち合って新たな愛を獲得することは許されないのであった。彼の目は完全に過去へと向けられている。 倉子の顔に赤い大きな月が上ってくるのを北山は見る。いつか戦場で戦友を見捨てたときに彼が目にしたのがこの赤い月であった。この月は北山に、自分が「他の人間の生存を見殺しにする人間」であることを痛感させる。今の彼にとって、この月は彼の愛の発露に歯止めをかけるものでしかない。
戦争の影を引き摺った登場人物たちが描かれているという点では、これは紛れもなく戦後文学であった。北山の混迷の深さが、戦争の傷跡を殊更印象づけている。