(49)『友情』

武者小路実篤 『友情』 2009年5月

小田島 本有    

  『友情』は多分に漱石の『それから』を意識して書かれた作品と言えよう。作者は友情のために自らの恋を封じ込めることなく、むしろ自分の感情を偽らない青年像をここで描こうとしたのである。 
 野島は写真を見たときから、友人仲田の妹杉子に恋をする。杉子の言動の一つ一つに一喜一憂し、そのたびごとに親友の大宮に報告する様子はいじましいほどだ。しかし、後に杉子が語っているように、野島は自分が思い描いた、いわば理想化した杉子を恋していた。それが彼女に嫌悪感を抱かせる大きな要因となったのは言うまでもない。
 杉子は自分の思いを貫くという点で『それから』の三千代とは明らかにタイプの異なる女性だった。作品でしばしば自分に対する彼女の態度に物足りなさを野島が覚える場面が描かれているが、彼女の思いが当初から大宮の方に向けられていたことを考えると、このこと自体は何ら不思議ではない。大宮が絶えず自分に対して冷淡な態度をとったばかりか、留学と称して急に西洋へ旅立って行った理由が彼女には解せなかった。しかし、一年後人を介して野島から結婚の申し込みを受けたことで彼女は初めて全てのことを理解する。彼女は勿論この申し込みを断った。野島はそのことに釈然としない思いを抱くが、ここに彼女なりの野島に対する配慮があったことをこの時点で野島は知る由もなかった。
 大宮の真意に気づいた彼女は、この後遠隔の地にいる大宮に熱烈な思いを込めた手紙を送り続け、ついには彼の気持ちを揺り動かす。このようにこの作品では彼女の一途さが殊更際立っていると言えよう。
 大宮は野島の親友であり、その大人としての振る舞いから野島の絶大な信頼を受けてもいた。そのことが大宮を窮屈な立場に追い込んでしまったと言える。野島から杉子への恋を打ち明けられた彼は、自らの思いを打ち消し、ひたすら野島の〈友人〉として彼の恋を成就させようとしていた。しかし、ここで彼が守ろうとした〈友情〉そのものがまやかしでしかないことは、後に杉子が大宮への手紙の中ではしなくも述べていたことだった。
 彼が最終的に杉子の愛を受け入れたことは正しかったと言えよう。そのことは、野島との〈友情〉を必ずしも壊すことにはならない。むしろ二人は新しい〈友情〉を育てるべき段階に入ったと言うべきか。
 大宮は「すべては某同人雑誌に出した小説(?)を見てくれればわかる」とだけ野島への手紙で書いた。その小説は実名入りであり、杉子が野島を嫌悪する激しい言葉もそのまま書かれていたのである。杉子が大宮個人にあてた手紙の内容をそのまま小説という形で公表するということは、杉子をも踏みにじる行為と言えないだろうか。この一点だけはどうしても疑問を抱かざるを得ないのである。