(48)『新生』

島崎藤村 『新生』 2009年4月

小田島 本有    

 妻の死後、家の手伝いに来ていた姪と関係を持ち、彼女を妊娠させた事実を告白した小説。それが島崎藤村の『新生』である。
 この小説は「東京朝日新聞」に連載された。この作品の特異さは題材のみならず、姪との衝撃的な関係を紙上に発表した後も執筆が続けられ、その後の展開をも取り込んでいったところにある。
 岸本捨吉は姪の節子から妊娠を打ち明けられる。これに動揺した彼は留学と称してフランスへ旅立つ。これは逃避以外の何ものでもない。そして船の中から次兄の義雄(節子の父)に手紙でようやく事情を打ち明けることができた。義雄からは「お前はもうこの事を忘れてしまへ」という返事が後日くる。この言葉に捨吉は救われもした。事実節子の妊娠は秘密裏に処理される。
 三年後、捨吉は帰国する。滞仏中、節子からは頻繁に手紙が届けられたが、彼はそれらを殆ど無視した。いざ帰国してみると、彼の目に映ったのは生気を失った節子の姿である。彼女に憐憫の情を催された彼は、こともあろうに再び彼女との縒りを戻してしまう。そして彼はアベラアルとエロイズの関係に自分たちを擬し、節子との性欲を超越した精神的な関係を目指そうとするのだ。自分たちの関係を小説の中で告白するという大胆な行動も、その考えに基づいたものである。しかし、アベラアルとエロイズの関係を名目にしたこと自体、姪との関係を解消しようとする狙いがあったのではないかとの疑いは拭いきれない。
 ある日、義雄は捨吉の前で「岸本の家の名誉に比べたら、節ちやん一人の間違ひぐらゐは何でもないことだ」と言い放つ。捨吉が節子との関係を綴った「懺悔」の稿が新聞紙上で連載され始めるのは、それから間もなくだ。
 いったんは次兄からの手紙で救われたと思った捨吉であった。しかし、次兄の態度は弟や娘を思いやる心根から出たものではなく、ひたすら岸本の家の名誉を守ろうとする保身の論理に他ならなかったのである。自分の娘がその犠牲となってもそのことを意に介そうともしない倫理的鈍感さに捨吉はおののいたに違いない。捨吉が姪との関係を告白する挙に出たのは、一つの事件をきっかけに露わとなった岸本家の問題を剔抉し、訴えようとする意志が強く働いていたからである。作者藤村にとっても、このような展開そのものは連載当初には思いも寄らなかったことであった。
 作品の公表後、周囲は慌ただしくなる。次兄からは義絶の手紙が届けられ、姪は台湾へ送られて行く。彼女は叔父との距離が遠く離れても二人の関係が永遠のものであることを信じて疑わない。その姿はいじらしくもある。
 『新生』の発表は島崎藤村にとって世間からの抹殺をも覚悟したほどの、大きな賭けに他ならなかった。その危機を潜り抜け、やがて『ある女の生涯』や『夜明け前』誕生の糸口を掴んだところに彼のしたたかさがある。