(47)『金色夜叉』

尾崎紅葉 『金色夜叉』 2009年3月

小田島 本有    

 「可いか、宮さん、1月の17日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから」熱海の海岸で貫一は宮に向かって言う。この台詞であまりにも有名な『金色夜叉』を実際に読んだことのある人はどの程度いるのだろう。
 作品を読んでいて腑に落ちないのは、なぜ宮が結果的に貫一を裏切ることになってしまったのか、その理由がよく分からないことである。貫一は早くに両親を失い、かつて父が世話した鴫沢家で育てられている。学資の面倒も見てもらった。そこの娘が宮である。二人が結婚するということは、鴫沢の家では誰もが了解していたことであった。
 その宮を見初めた男がいた。正月のカルタ大会に現れた富山唯継がその人である。金剛石(ダイヤモンド)の指輪をはめた彼の登場は人々の注目を浴びた。彼の目的はカルタ大会に参加することではなく、花嫁候補を探すことにあった。その彼の眼鏡にかなったのが宮だったのである。
 後日富山は結婚を申し入れてくる。鴫沢夫妻は宮に富山との結婚を無理やり強要したわけではない。それだけに、鴫沢隆三から娘が富山の申し入れを受け入れたと聞かされたことは、貫一にとって全く寝耳に水のことであっただろう。この結果、貫一は姿をくらまし、立身出世の道を捨て高利貸の手代となって後年姿を現す。金のために裏切られたと思い込んだ貫一は、その金に執着することで自らの人格そのものを変貌させようとしたのである。破談の結果がいかに彼の心を狂わしてしまったのかが十分伺える。
 「新続金色夜叉」の中で、女が男に惚れるには「見惚」「気惚」「底惚」の三様があり、23、4歳ぐらいにならないと心底から惚れることはない、とお静から聞かされ、貫一が大いに頷く場面がある。このとき、貫一の脳裏をかすめたのは5年ほど前の宮のことだろう。少なくとも貫一は当時の宮が年端も行かず、深い思慮が足りなかった、とこの場面では納得しているのである。当時、宮の美貌は際立っていた。正月のカルタ大会で人々の注目を浴びたのは美の象徴である彼女と、富の象徴である富山の二人である。そのことを宮も十分意識していたであろうし、その一方から結婚を申し込まれ、彼女の心が大きく揺すぶられたのではないか。
 そもそも若い男女が出会える場が極めて限られていた。貫一と宮も同じ屋根の下に暮らす半ば家族のようなものであり、それまでに他の異性を知っていたわけではなかった。宮を「姦婦」とまで言い切って罵る貫一の態度は、裏切られたという思いがあったにせよ、やや常軌を逸していたと言わざるを得ない。宮に非難されるべき点はあった。しかし、それを身体全体で受け止めることができず、妄想に駆られて相手を罵ることしかできなかった貫一という人間の姿は忘れるべきではない。