(89)『婉という女』

大 原 富 枝 『 婉 と い う 女 』2012年9月

小田島 本有    

 野中兼山は儒学を基本理念とし、そこに実利主義を生かした行政を推し進め、とりわけ治水事業に功績をあげた奉行として地元の高知ではよく知られた人物である。だが、その徹底した「お仕置き」(政治・事業)は領民を苦しめたとして民衆の怒りを買うことともなった。兼山失脚はいわば兼山自身が招いたとも言える。
 御沙汰は兼山に対して行われたばかりではない。残された家族は息子たちが息絶えるまで40年あまりにわたって幽閉を余儀なくされる。『婉という女』の主人公であり語り手でもある野中婉は、そのような運命を強いられた兼山の娘である。
 長兄清七は、死ぬまで学問を通じて父親の偉大さを婉に伝えた人物であった。彼にはそれが唯一の存在意義だったのであろう。長兄の死から4年後、次兄の欽六は狂死する。そして弟貞四郎の死によって、婉ら女性たちはようやく赦免されることになった。
 外の世界に出るということは、彼女にとって生きにくい現実の世界に踏み出すことを意味していた。40歳を過ぎても男を知らず、眉も剃らない。歯も染めずに振り袖姿のままでいる彼女は周囲からすれば好奇の対象であったことは言うまでもない。そのようななかにあっても彼女は精神の自由をひたすら求める女性である。長兄にとっては「理想」の男性として絶対化された父親兼山も、婉にはそれが「野望」に取りつかれた人間として映る。その兼山を敬愛し、幽閉中に精神的な支柱となった谷泰山には殆ど恋愛感情と言ってもよい感情に捉われる。そして婉と泰山との間の書簡を橋渡しすることになった若い岡本弾七には性愛を夢想したりもする。「ゆるされるなら、わたくしは先生(注・谷泰山)の剛毅な精神と弾七の若く逞しい肉体を欲しい、といおう。男たちが幾人もの妻妾をもつように、わたくしも二人の男が欲しい」という彼女の言葉には、抑圧された〈性〉を強いられた、当時の女性の生の声が伝わってくる。だからといって、彼女はなんのゆかりもない旧家臣の男との結婚の話を受け入れたりすることはない。彼女はただ流される女性ではなかったのである。
 やがて兼山を敬愛していた谷泰山も幽閉を余儀なくされた。彼ら男たちの生きざまを眺めながら、婉は男たちを翻弄する「お仕置き」とは何なのか、根本的な疑問を抱かざるをえない。婉の生涯はさまざまな制約を強いられた。しかし、その中にあって彼女は男たちを対象化しうる視点を獲得していたのである。
 大原が婉自筆の手紙を高知県立図書館長の計らいで見せてもらい、それらを筆写したのは昭和19年のことである。翌年、高知市への空襲で図書館は焼け、秘蔵の手紙は焼失した。その事実が大原にこの小説を書かせる大きな原動力となったことは間違いない。