(134)『雁』

森鷗外『雁』 2016年6月

小田島 本有    

 『舞姫』の発表からほぼ20年後、鷗外は『雁』の執筆に着手する。エリートへの道を約束された男と、その陰で人生の悲哀を舐めざるを得なかった不幸な女、という構図は共通するものの、両者の内実は対照的ですらある。『舞姫』の太田豊太郎はエリスと同棲をし、彼女を妊娠させてもいたが、『雁』において岡田とお玉の間には関係すら始まっていなかった。しかし、そこにことさら悲恋物語を認めようとするのが、岡田の友人であった「僕」である。
 お玉は末造の妾であり、無縁坂の家で囲われていた。その前をいつも通りかかるのが学生の岡田で、二人は軽く会釈を交わすだけの関わりであった。唯一の例外は末造がお玉のために買ってやった紅雀が蛇に襲われ、そこをたまたま通りかかった岡田がそれを退治した一件ぐらいである。
 お玉は岡田に心惹かれていた。たまたま末造が家を空けることになったとき、彼女は岡田と近づきになれることを期待する。だが、彼女の願いは叶わなかった。いつもは一人で家の前を通り過ぎる岡田がこの日ばかりは連れを伴っていたからである。その連れが「僕」であった。たまたまこの日の夕食に「青魚(さば)の煮肴」が出て、これが苦手な「僕」は岡田を誘って外食に出たのであった。「僕」は美貌の女の目がうっとりと岡田の顔に注がれているのを目の当たりにして「おい、凄い状況になつてゐるぢやないか」と興奮するのだが、一方の岡田はそっけない。既に岡田は蛇退治事件のことは「僕」に伝えていたが、岡田はお玉が妾であることを承知してもいたし、彼女はあくまでも会釈を交わすだけの存在でしかなかった。
 「僕」は岡田の態度を不甲斐なく感じ、「僕は岡田のやうに逃げはしない。逢つて話をする」と述べている。「物語の一半は、親しく岡田に交つてゐて見たのだが、他の一半は岡田が去つた後に、図らずもお玉と相識になつて聞いたのである」と「僕」は35年後に語る。しかも「僕」はなぜ彼女と「相識」になったか語ろうとしない。ただ「僕にお玉の情人になる要約の備はつてゐぬことは論を須たぬ」と言い切っている。
 「僕」はかつて正義感にも似た思いで岡田の態度を批判的に眺めていた。であれば、その「僕」がお玉と「相識」になるには、「僕」が直接彼女に近づく必要がある。たぶん「僕」はお玉に失恋したのだろう。お玉の心の中には岡田があまりにも強く生き続けていた。だが、その彼女も岡田のことをよく知っていたわけではない。言ってみれば彼女は実像としての岡田ではなく、偶像としての岡田に恋していたのだ。だが「僕」はその岡田に負けた。それは屈辱的ですらある。
 「僕」がことさら岡田とお玉の悲恋物語を強調するのは、自らのアイデンティティを守ろうとするためだったのかもしれない。