(133)『にごりえ』

樋口一葉『にごりえ』 2016年5月

小田島 本有    

 お力は銘酒屋「菊の井」で働く酌婦であり人気者である。銘酒屋とは表向きは料理屋であるが、実際は男たちが女を買う目的で訪れる店のことであった。お力は器量がよく、「我まま至極の身の振舞」がかえって男たちの心をそそっていた。
 その彼女のために身を持ち崩した男がいた。それが元蒲団屋の源七である。彼には妻のお初、4歳の息子太吉がいたが、すっかりお力に入れ揚げた源七は放蕩の挙句、家族を貧困に陥れたばかりか、その後店を訪れてお力に会おうとしても拒絶されるばかりである。心の萎えた夫を見て、お初が情けなく思うのは無理からぬことであった。
 だが、源七がお力に愛想を尽かされたと考えるのは早計である。二人はかつて激しく愛し合っていた。しかし、源七の家が傾き、今では土方の手伝いで細々と暮さざるを得なくなった状況を知って、お力が源七を断念したのである。それが証拠に、彼女はたまたま源七の息子太吉に「かすていら」をあげている。彼を不憫に思う心がさせた行いであった。
 しかし、これをくれたのがあの憎きお力であると知ったお初は、源七の面前でお力を「鬼」呼ばわりし、息子を叱る。そして挙句の果ては、このお菓子を溝(どぶ)に捨てた。お力は幼い頃、母親に米を買ってくるよう言われながら滑ってそれを溝に落としてしまったため、結局貧しい一家が食事を我慢しなければならなかった、という過去を持つ。この二つの挿話が作品の中で呼応しているのは明らかだ。
 妻のこの仕打ちに源七が黙っているはずもない。彼は妻に対し、「お力が鬼なら手前は魔王」と言い放ち、離婚を切り出す。謝るお初を源七は許さない。縁を切られたお初が今後路頭に迷うことは明らかだろう。女性の自立ということが極めて困難な時代であった。
 一方、お力は「これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」と我が身を呪いながらも、「菊の井のお力を通してゆかう」と思い直していた。このとき常連となりつつあった上客の結城朝之助に声をかけられたのをきっかけに、彼女は誰にも秘していた自分の過去、自らの思いを彼に吐露する。彼に「お前は出世を望むな」と言われて目が覚めた彼女はこの日ばかりは彼に泊まってくれるよう懇願した。ただし、この二人の関係はいかなるものであったか作品を読む限りでは判然としないところがある。
 作品の最後、唐突に二つの棺が運び出される場面が登場し、読者はお力と源七の死を知ることになる。この二人の死が合意心中なのか源七の手による無理心中なのか、従来も研究者の間では議論があった。作品の中でも周囲の者たちは彼らの死についていろいろ噂し合う。しかし、それらはいずれも推測の域を出ない。ただ、お力にとって死こそが呪縛からの解放たりえたのである。