(149)『こわれ指環』

清水紫琴 『こわれ指環』  2017年9月

小田島 本有    

  明治期の小説には親に結婚を強いられ、その結果苦しみを味わう女性主人公の姿を描いたものがかなりある。この『こわれ指環』もその種の作品の一つと言えよう。ただ、この作品で注目されるのは語り手「私」の反省的視点が介在していることである。「私」が現在「こわれ指環」を指にはめていることにそのことは端的に表れている。
 「私」の場合、もともと結婚には積極的ではなかった。それを見かねた両親(とりわけ父親)は有無を言わさず「私」に結婚を強いた。「私」が18歳の時のことである。地方ではその傾向が一層強かったに違いない。このとき「私」は東京の女子師範学校への進学を口にしているが、その思いはどの程度のものだったのだろう。私には場当たり的な発言のような印象を拭い難い。
 「私」は見合いそのものを拒否する。このことを「私」は後に「馬鹿なこと」「私の失策」とまで言っているが、「私」にはそもそも人間を見る目など備わっていなかったし、夫に馴染もうとする意欲すら最初からなかった。事実、結婚当初夫は「私」をいろいろな所に連れ出そうとするものの、このときの「私」はそのような夫の気遣いを慮る様子も伺えない。  確かに夫の側にも非難すべき点はあった。
 「私」と結婚する前に彼が別の女性と結婚しており、彼女が「私」の嫁入り5、6日前に家にいたこと、さらにその後も二人の縁が切れているわけではないらしいことを「私」は下女の話で知った。時の経過に伴い夫の帰宅が遅くなったり、不在がちになったりしたのはおそらくそのためであろう。「私」は苦しい心の内を母親に語った。かねてから病身であった母親は、この影響もあったのかほどなくして命を落とすこととなる。
 これが契機となって「私」の変化は生まれた。結婚して2、3年後、女権論が勃興する時代状況に呼応するように「私」は夫に対して「真心の諫め」をするが、もとより夫がこれに応ずるはずもなかった。そして二人はやがて離婚することになる。「私」が夫からもらった指環の玉を抜き取ったのはこのときであり、そこには自らを反省する意味合いも込められていた。そして立派な夫婦を目にするにつけ、「なぜ私は、ああいふ様に夫に愛せられ、また自らも夫を愛することが出来なかつたのか」とまで思うようになるのだ。
 その後、父親の「私」に対する態度にも変化が見られ、今では「私」の支援者になっている。「私」はまさに自立した女としての歩みを始めようとしている。それだけに最後の一文、「ただこの上の願ひには、このこわれた指環がその与へ主の手によりて、再びもとの完きものと致さるる事が出来るならばと、さすがにこの事は今に……。」は「私」の複雑な胸中を吐露しており、実に興味深い。