(240)『蘭陵王』

三島由紀夫『蘭陵王』  2025年4月

            小田島 本有

 「蘭陵王」は1969年11月に発表された。三島由紀夫が「楯の会」のメンバーたちと共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して割腹自殺を遂げる事件が起きたのはちょうど1年後のことである。
 作品は「楯の会」が富士の裾野で新入会員の卒業試験ともいうべき小隊戦闘訓練を炎天下で実施した夜が舞台となっている。
 この日の訓練での小隊長は京都の大学から来たSであった。彼は横笛を「私」に聴かせたいという。「私」は10時の消灯までの時間を学生たちのために開放していた。その時間帯にSはやってきたが、このとき他に4人の学生たちが入って来たので、横笛の聴き手は「私」を含め5人となった。作品はSの吹く横笛を「私」たちが聴く様子を綴っている。
 ちなみにSが吹いたのは名曲「蘭陵王」である。舞楽で使われる蘭陵王の面は怖ろしい相貌で知られる。これは己のやさしい顔を隠すため怪奇な面をつけたという故事に由来する。
 「私」によると、その笛は「息もたえだえの瀕死の抒情」と「あふれる生命の奔溢する抒情」という、相反するものが等しく関わり合っており、「きりりと引きしぼられた弓のような澄んだ絶対的抒情」が感じられたという。「そして気がついたときは、笛の音は二度と引返せない或る深みへわけ入ってゆくところだった。その笛の音の蒼々たる滑らかな背中を私は認めた。どんな心情の深みであるかは知れぬが、おそらく心情をつきぬけて、さらに深い透明で幽暗な境へ入ってゆき、それが私たちの世界を突然鷲づかみにし、子供が掌の中で何気なく握りつぶす酸漿(ほおずき)のように、それを押しつぶしてしまう。……」。さまざまな比喩表現を用いてその世界を現出させようとする「私」の意図は明らかである。その場にいた誰もが深い感銘を受け、言葉もなかったという。
 演奏を終えるとSは、何時間も横笛を練習すると幽霊を見るそうだ、と「私」に語る。「君は見たか」との問いにSはまだだと答えた。幽霊を見れば一人前だと言われているという。そして彼はしばらくして卒然と、「もしあなたの考える敵と自分の考える敵とが違っているとわかったら、そのときは戦わない」と語る。一見すると脈絡もなさそうなこのような発言がなぜここで生まれてきたのか。この言葉は裏を返すと、お互いの考える敵が同じであれば戦う、ということを意味する。
 ここでの「幽霊」とは「敵」に対応するものなのだろうか。「敵」と見なしているものが「幽霊」かもしれないのなら、その「敵」たるものの存在はあまりにも頼りないものとなる。それでもその「敵」と戦う必然性があるとすれば、それは一体何なのか。
 「楯の会」の蹶起そのものが、戦後4半世紀を迎えるこの時期の三島の何らかの焦りを反映したものだったのかもしれない。