(2)『破戒』

島崎藤村『破戒』 2005年6月                  

小田島 本有    

 
 「素性を隠せ」という父親からの戒めを破る物語、それが『破戒』である。主人公瀬川丑松にとっては、破戒という行為そのものが自らの殻を打ち破ることに他ならなかった。
 しかし、この行為そのものは決して勇ましいものではない。既に彼が勤務する小学校の教員たちの間では、丑松が部落民らしいという噂は広まっており、彼が 自分の素性を告白するのはもはや時間の問題であったからである。しかも、彼は教室で「許してください」と生徒の前で土下座までしている。この姿を惨めなも のとして感じるのは無理もない。
 ただし、この作品には父親の庇護からの脱却という側面もあった。父親は息子の将来を思うがゆえに「隠せ」と戒めた。しかし、そのこと自体に丑松は疑問を 抱き始める。そこには、自らの素性を決して恥じることなく、「我は穢多なり」と広言して憚らない社会運動家、猪子蓮太郎の存在があった。せめてこの先輩に だけでも打ち明けようと丑松が思い立ったとき、蓮太郎は暴漢によって暗殺される。打ち明けるべき相手を失ったとき、その告白の対象が拡大されるところに藤 村の描く主人公たちの特徴がある。
 この作品は小学校が舞台となっている。明治の新政府となり、それまでの身分制度は形の上では解消されたはずであった。しかし、差別の構造は厳然として 残っている。本来は新しい時代の息吹を伝えるべき教育現場において嫉妬と羨望、更には蔑視が渦巻く。学校もまた社会の雛型であった。
 その中にあって、作者藤村はこの作品に夢を託した。
 その一つが、士族の娘であるお志保が、丑松の素性を知ってもなお、むしろ知ったがゆえにと言うべきか、なおさら彼を思う気持ちを確かなものにしたという こと。どちらかというと寡黙で、それまで苦しい境遇を耐え忍んできた彼女であるだけに、この決意の強さはとりわけ印象的だ。
 結末で、テキサスへ旅立とうとする彼を慕い、彼の可愛い教え子たちが大挙して見送りにくる。差別は未だなくならない。だが、この子供たちが大人になる頃には丑松のような思いをする人がいなくなってほしい。そのような気持ちを藤村はこの場面に託したのではないだろうか。