(35)『不如帰』

徳冨蘆花 『不如帰』 2008年3月

小田島 本有    

 明治30年代初頭に発表された『不如帰』は空前の反響を呼ぶことになる。仲睦まじい新婚夫婦が「家」の論理によって引き裂かれるという物語に多くの読者は涙した。封建的な家族制度が厳然としてあり、結婚もまず「家」が「個人」よりも優先されていたのであった。その最たる場面は、新妻の浪子が肺結核となったことを知ったときの姑お慶の態度である。
 彼女は息子の武男に父親の位牌を示し、「妻が大事か、親が大事か」と二者択一を迫る。彼女からすれば、息子がこの際浪子を選択することは川島家の滅亡をも恐れない「不幸者」のすることであり、少なくとも彼女の頭には浪子を一個人として尊重する発想は全くない。息子の嫁は幾らでも取り替え可能なのである。この考えは当時において何もお慶一人だけが突出していたわけではなかった。ましてや肺結核が「死病」として恐れられていた当時では尚更のことである。
 確かにお慶を不安に駆り立てた要素の一つに、かねてより浪子に懸想をし、武男を快く思わない千々岩安彦の口添えがあった。私印偽造、官金横領の噂がささやかれる千々岩はかつて立身出世の近道として、武男の父親に接近しようとしてそれが適わなかったという経緯がある。
 浪子の追い出しは武男の不在中に行われた。片岡家への使いを負かされた山木は、事の次第をなかなかうまく伝えられない。しかし、事情を察した片岡中将は、「で、武男君はもう帰られたですな?」と確認をする。それに対して、山木は「いや、まだ帰りませんでございますが、もちろんこれは同人(ほんにん)承知の上の事でございまして」という返答をした。これは明らかな嘘である。しかし、これが片岡中将の心を決めさせた。夫が認める以上、抵抗するのも無駄だ。そう中将は判断したのである。山木のその場凌ぎの一言は極めて重要な意味をもったと言わざるをえない。
 このようにして若い二人は引き裂かれるのだが、たまたますれ違う列車でお互いを確認し合う有名な場面を除いては、この二人がその後顔を合わせることはない。引き裂かれたとはいえ、なぜ武男が浪子に会いに行こうとしなかったのか、疑問は拭いがたく残る。引き裂かれた後の武男が極めて好戦的な男として変貌するくだりも、読者にとっては意外な感を否めないだろう。
 この作品は、宗教小説としての側面も覗かせている。絶望に駆られて自殺を試みようとした浪子を救ったのが小野清子というクリスチャンであった。別れ際、彼女によって手渡された聖書に浪子は慰められる。
 亡くなる間際の「ああつらい! つらい! もう-婦人(おんな)なんぞに-生まれはしませんよ。ああ!」という浪子の悲痛な叫びは、封建的家族制度の犠牲者となった彼女の姿を浮き彫りにしており、痛々しい。