木下尚江『火の柱』 2008年4月
篠田長二に注目するか、それとも彼を心ひそかに慕う山木梅子に注目するか。そのいずれにウェイトを置くかによって、『火の柱』はかなり異なった相貌を見せるのではないか。
篠田はキリスト教社会主義者としての立場から、日露戦争に対して非戦論を唱え、その主張を同胞新聞の中で展開する。その主義は徹底しており、しかも三十歳となった今でも独身を貫いている。彼は神こそが自分の嫁なのだと広言して憚らない。
その彼を慕っていたのが梅子であった。しかし、彼女は自らの思いを抹殺せざるを得ない状況に置かれていた。なぜなら、篠田が陸海軍御用商人として攻撃した一人が九州炭山株式会社の取締役山木剛造、すなわち彼女の父親だったからである。
彼女は現在の父親を好いてはいない。剛造は妻の死後、教会へも通わなくなり、俗物化してしまった。後妻のお加女は、梅子を松島大佐に無理やり嫁がせようとしている。松島は実質的な海軍大臣と評されている人物であるが、人品は卑しく、しかも先妻に先立たれた年配の男。梅子が松島との結婚を承知するはずがなかった。
梅子もまた独身主義を広言するが、篠田と決定的に違うのは、彼女の場合ほとんど身動きのできない状態の中で、こうするしか方法がなかったことである。篠田と互いに気持ちを通わせていたのであれば、家を捨て駆け落ちをするという選択もありえたであろう。しかし、篠田にそれを求めることは土台無理であった。彼女は自分の気持ちをひた隠す。しかし、それを隠しきれなかったことは、弟の剛一や女学校の先輩だった菅原銀子の言葉が証明している。
その彼が拘引されるとの情報を聞きつけ、それを梅子が本人に伝えに行った際、二人は初めて互いの思いを確認し合う。しかし、逃亡することは篠田の望むところではない。彼は自ら入獄を選ぶのであり、後事を彼女に託す。彼女への「社会主義の母となって下さい」という言葉が、二人のその後の関係を暗示していると言えよう。
この作品には、篠田を窮地に追い込むべく、警察がスパイを送り込んだ事実も書かれている。だが、スパイである吾妻がいくら探っても、篠田を糾弾すべき材料は見つからない。そのことを報告しても、「そんな筈はない。なんでもいいから出せ」という要請があり、吾妻は事実を捏造することになった。篠田を非難中傷する新聞記事はそのようにして書かれたのである。警察という官僚組織の体質を暴こうとする作者の意図がここでは見られる。
『火の柱』は、明治期における社会小説の代表作として位置づけられている。確かにそのような側面はある。ただし、梅子に焦点を据えた際、男尊女卑的な家族制度の中で呻吟する女性の嘆きを伝えた作品という側面もあることは見逃すべきではない。