森敦『月山』2012年2月
『月山』が昭和48年度下半期の芥川賞を受賞したとき、森敦はまもなく62歳を迎えようとしていた。若いころ菊池寛に認められながらも名作を書かねばならぬプレッシャーに耐えきれず、彼は放浪の旅を何十年と続けざるを得なかった。その点では極めて遅咲きの作家である。
庄内平野を見下ろすところに位置する月山は、死者の行く山とされていた。これはこの地を訪れ、豪雪のなか行き倒れになりそうな状態を助けられたことがきっかけで思いのほかここに長く滞在することになった「わたし」の物語である。「わたし」は「寺のじさま」のもとに寄寓させてもらい、彼を通じて徐々に村人たちとの接点をもっていく。
村人たちは最初から「わたし」を手放しで歓迎していたわけではなかった。ここでは酒の密造が行われており、当初「わたし」を税務署の人間ではないかと胡散臭げに眺める眼差しがあったのも無理からぬことと言えよう。
そもそもなぜ「わたし」がここを訪れたのか、その理由は明らかではない。滞在は長引いたが、彼は途中でここを立ち去ろうという思いにも駆られたし、友人のことをふと思い出し、自分が忘れられていることに怨恨めいたものすら感じたりもしている。彼は俗世間から離れながらも、そこからは完全に切り離されたくないという相矛盾する心を同時に抱いてもいたのである。
寒さをしのぐため、埃をかぶっていた寺の祈祷簿を使って蚊帳をつくることを思い立ったあたりから「わたし」の心は微妙に変化していたのかもしれない。村人の酒盛りにも誘いがかかり、そこで村のことが今まで以上に見えてくるようにもなる。酒に酔った女が二階の自分の部屋で寝ている姿を見つけ、その意味ありげな様子から「わたし」が彼女を孕ませてここに留まってもいいなどという妄想に駆られるくだりはユーモラスでさえある。
しかし、この村には過酷な過去があったことも「わたし」は聞かされる。押し売りにやってきて吹雪のなか行き倒れになった人間が即身成仏となり、それがミイラとなって観光の目玉になっているという話。あるいは寺が胴元となって博打が行われ、その結果莫大な借金を抱えて縊死する人間がいたり、売られていく娘もいたりした。この人里離れた村でも俗世間の爪痕はしっかり刻印されていたのだ。
「わたし」にとって、ここでのひと冬の経験が大きなターニングポイントとなった。「わたし」は明らかに多角的な視点を獲得したのである。『月山』が森敦という作家誕生を告げる作品となったのは言うまでもない。