大江健三郎 『個人的な体験』 2013年5月
脳ヘルニアのため頭が奇形となった男の子が生まれたという鳥(バード)の体験は確かに「個人的な体験」であった。しかし、何かハンデを抱え込んだ人間がそれをどう受け止め克服していくかというのは、我々人間にとって普遍的な課題でもある。
かつては不良少年だったという鳥(バード)は自分を慕っていた菊比古という少年を見棄てて以後はいわば小市民的な存在となった。大学院へ進み、その指導教授の娘と結婚し今では予備校講師となっている。しかし、彼は決して現在の生活に満足しているわけではなかった。作品の冒頭、書店で大きく広げられたアフリカ地図を眺めながら嘆息する彼の姿が描かれていたことは象徴的である。家庭生活をもち子供が生まれるというなかで、アフリカへの脱出を夢想する彼は妻が看破するように、責任を取りたがらない男だったのである。結婚してすぐに彼が4週間のアルコール依存に陥ってしまったのも、その現われに他ならない。
彼は義父からもらったウィスキーの処置に困り、結局は大学時代の友人火見子の部屋を訪れ痛飲する。この結果彼は翌日の予備校の講義の最中に嘔吐し、これが原因で予備校を解雇される。一方、彼は卑小で反社会的な性交を欲し、その相手を火見子に求めた。彼が性的恐怖を抱いていることを見出した彼女は、その彼を全的に受け入れる。火見子もまた、結婚して1年後に夫が自殺したという闇を抱えていたのである。この二人が性的に結ばれ互いを必要としたとき、赤ん坊を処置し、アフリカへ旅立つ計画が具体化されるのだ。
いざ計画を実行しようとする段階で、彼は偶然のことにゲイ・バーのマスターとなった菊比古に再会する。菊比古は現在の鳥(バード)が何かを恐がり、逃げ出そうとしていることを敏感に感じ取った。菊比古との再会は彼にとって自らの過去を見つめ直す契機を促す。彼が計画を変更し、赤ん坊に手術を受けさせることを宣言するのはこの直後だ。火見子の反対を諭したのはほかならぬ菊比古である。
それまで責任を逃れようとしていた男、それが鳥(バード)だった。作品の結末では、脳ヘルニアではなく脳瘤だったことが分かり、手術も成功した後日談が描かれる。赤ん坊は正常に育つ可能性はあるが、IQの極めて低い子供になる可能性もあるという。彼はこの赤ん坊を引き受ける覚悟をしたのである。
「きみにはもう、鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」そう義父は語る。鳥(バード)という渾名は彼が15歳の頃から呼ばれているものであった。この渾名には「自由に飛び回る」=「責任をもたない」というイメージがある。義父にはそのような思いがあったのかもしれない。
一見すると、この作品は鳥(バード)の成長物語として読める。しかし、その一方で、一度は再生の兆しを見せた火見子は棄てられたのである。我々読者はそのことにも思いを馳せなくてはならない。