村上春樹 『ノルウェイの森』 2013年4月
物語は37歳の「僕」(ワタナベ)がハンブルク空港に降り立ったとき聴こえてきたビートルズ「ノルウェイの森」のメロディーに激しく混乱する場面から始まる。この曲は「僕」にとって今は亡き直子との思い出の曲だった。直子が自殺して18年が経過した。生前彼女は「僕」に対して感謝の念を示すとともに、「私のことを覚えていてほしい」と頼んでいた。だが、時の経過とともに直子の記憶は薄れて行く。「僕」がいま不完全な記憶を取り戻すために文章を書き始めるのはいわば必然的なことでもあった。
「直子は僕のことを愛してさえいなかった」と「僕」は語っている。これは精神が冒され療養を余儀なくされた彼女をひたすら待ち続けるしかなかった「僕」の願いとは裏腹に、彼女が自らの命を絶ってしまったという事実が重く横たわっているためだろう。だが、本当にそうなのだろうか。この作品が「僕」の一人称の語りであるということは、そこで描かれる世界も「僕」の主観の域を越えられないということでもある。
確かに高校時代、直子の恋人でもあり「僕」の親友でもあったキズキが謎の自殺を遂げたことがその後の二人の間に深い傷痕を残していた。だが、直子は東京での再会後、「僕」へと心を傾斜させていたのではないか。彼女の誕生日の夜、二人は結ばれる。後にレイコさんが教えてくれたように、直子はこのとき自分でも信じられないくらい性の喜びに震えた。彼女がこのようになったのはこの一度きりである。
大学生活を送る「僕」の前に、緑という女性が現れる。多少ハチャメチャなところはあるが、生命感溢れる女性だ。彼女は脳腫瘍で余命の短い父親の看病を献身的に行いながら、その空いた時間をむさぼるように青春を謳歌しようとする。そして「僕」への好意を決して隠そうとしない。
「僕」は療養生活を送る直子にしばしば手紙を書いており、緑のことにも触れていた。直子は返事の中で、緑が魅力的な女性であると述べている。「僕」からすれば、直子を待ち続けながらもなかなかそれがかなえられないもどかしさを体験せざるを得なかったのは、「僕」の心の中で緑の存在が大きくなりつつあることを直子が敏感に感じ取ったからではないのか。
直子の死後、レイコさんは上京して「僕」と会い、直子の死の痛みを感じながらも緑と幸せになるよう勧める。それが大人として成長することなのだと。
作品は「僕」が緑に電話を入れるところで終わるが、緑の「あなた、今どこにいるの?」との問いかけに「僕は今どこにいるのだ?」と立ち尽くしたままである。
このときから18年経った。その後緑とはどうなったか、「僕」は何も語ろうとしない。