渡辺淳一『阿寒に果つ』 2014年9月
天才少女画家と騒がれた時任純子が18歳の若さで釧北峠においてアドルム自殺をして20年後、当時同級生だった彼女に恋した「私」(田辺俊一)は、彼女と生前関わりのあった人々を訪ね、自分が知り得なかった純子の姿を見つけようとしていく。それはかつて自分が感じた「痛み」を癒し、新たな道を歩もうとする行為でもあった。
面会した5名のうち4名は男性である。画家の浦部雄策、新聞記者の村木浩司、医師の千田義明、カメラマンの殿村知之、いずれもが純子にとって一番大きな存在だったのは自分だと信じていた。浦部は彼女の自殺したのが二人の思い出の阿寒だったこと、村木は彼女が失踪する前に自分の窓の下に赤いカーネーションを置いていったこと、千田は彼女からしばしば内面の不安を吐露する手紙を受け取っていたこと、殿村は彼女が最後に会おうとしたのが自分であったことを、それぞれの理由にしていた。個々の男たちにそのような思いを抱かせるように画策するところに、最後まで演技者であり続けた時任純子の姿を垣間見ることができる。
彼女は15歳で道展に入選し、注目を浴びた。周囲からの称賛と期待のまなざしを受ける中で、彼女は絶えず<天才画家>であらねばならなかった。彼女の奔放な生き方は厳格な教育者であった父親への反発ももちろんあったが、それ以上に彼女は<天才画家>としての虚像に振り回されていたのである。スキャンダラスな話題をふりまくことも、雪像に血をわざと吐いて「私」に結核だと信じ込ませ病弱なイメージを植えつけたことも、そうした一連の行動に他ならない。
「私」には二つの疑問があった。一つは純子が最も愛していたのは誰か。もう一つは彼女が18歳の若さで死んだのはなぜかである。
彼女の身体が年齢の割に成熟していたにもかかわらず、性的な陶酔を得られていなかったであろうことは、彼女と肉体的な交わりをもった男たちの証言がある。ここには、姉の蘭子との添い寝の習慣の中で二人が「甘い感触」を覚え、少なくとも蘭子が「罪の意識」を覚えたことが深く影響しているのではないか。純子が次から次へと相手の男を変えていったのは、同性ではなく異性との間で性的な喜びを得たいという彼女なりの必死な願望があったように思われる。彼女は異性を愛したいと切望しながらも、それができなかった。それだけ姉との絆が強かったのである。蘭子が上京してからの彼女の動揺ぶりはそのことを証明しているのではないか。
そして、実像と虚像との乖離が大きくなっていく中で呻吟を余儀なくされ、5人の男を翻弄しつつも奔放に振る舞い、その中で<天才画家>を演じ続けるということ自体が18歳の彼女を窮地に追い詰めたのだろう。若くして脚光を浴びてしまったことが彼女にとって不幸だったとも言えるのである。