徳田秋声『黴』 2016年9月
「笹村が妻の入籍を済したのは、二人のなかに産れた幼児の出産届と、漸く同時くらゐであつた」との一文で『黴』は書き始められる。しかし、全79章中、このことが語られるのは、「この婆さんの報知で上京して来たお銀の父親が、また田舎へ引返して行つてから間もなく籍が笹村の方へ送られた」と書かれた35章である。つまり、この作品は時間的な流れを遡って書くという倒叙法のスタイルが採られているのだ。
主人公の笹村とお銀のモデルは秋声と妻はまであり、作品は事実による部分が大きいと思われる。自らの経験を踏まえ夫婦の和合と離反の繰り返しを描いた作品として我々は夏目漱石の『道草』を思い浮かべることができる。語り手が夫婦を対等な立場で眺める視点を持ち、ひいてはそれが作者の自己批判にもなりえた、そればかりでなくきちんとした構成意識も働いていたという点で『道草』は『黴』を越えていたと言わざるを得ない。
笹村とお銀との関係は言ってみれば場当たり的なところがあった。もともと笹村のところにお手伝いに来ていた婆さんの娘がお銀である。婆さんの弟が亡くなり、田舎へ一時帰る必要ができたため、その代わりを務めたのがお銀だった。彼女は当初結婚する予定だった男と結婚できず、一緒になった男とはうまく行かずに逃げ出したという過去がある。お銀は花札をして朝早くに帰ってきたり、しまりのない姿で酒を飲んだりする女であり、笹村からすれば彼女は教養がないものの一方で性欲をそそられる女でもあったのだ。ひとつ屋根の下で暮らしていてお銀がやがて妊娠してしまうのはある意味で無理もないことだったのかもしれない。
笹村は育った家庭環境の影響もあってか、結婚生活に憧れることもなかったし、自分が結婚する資格のない男だと思い込んでもいた。妊娠が分かったとき笹村は生まれてくる子をどこかにやることも考えたりしている。だが、お銀は自分が産んだ子を自分の手で育てたいと主張するのだ。その結果、二人は籍を入れることになる。
この夫婦はカネの問題も絶えず付き纏っていた。作品の中で笹村が師事していたM先生が胃癌となりやがて亡くなってしまう話が挿入されているが、見舞いの際彼がM先生に期待するのは金なのだ。この当時作家がものを書いて食べていくというのは容易なことではなかった。
作品の最後、笹村は浮気が原因で妻と口論する。このことで嫌気がさした彼はふいと東京を飛び出し、旅先で10日ほどを過ごす。彼はそこで別の女と関係を持った。「旦那、ほんとに日光へ連れて行つて下さいね」。午前中彼女にそう言われた彼は午後には一人ステーションに向かい、西那須野行きの列車に乗り込む。東京からますます離れて行く彼はこの後どうしようというのだろう。