(138)『青春』

小栗風葉『青春』 2016年10月

小田島 本有    

 主人公を関欽哉と見るのか、それとも小野繁と見るのかによって、『青春』の捉え方は大きく異なる。前者であれば、弁舌に優れ周囲を魅了する力がありながらも意志力、現実感覚に乏しい帝大生を批評することが可能だろうし、後者であれば、その彼との恋愛経験を通じて彼を対象化し、やがて自立の方向性を模索する女性の成長譚を見ることもできる。
 この二人は欽哉が自作の新体詩『顕世』を刊行すべく、その浄書を繁に頼んだことで距離を縮めていった。欽哉は保証人である香浦家をしばしば訪れていたが、そこの長女である園枝が成女大学の学生であり、彼女の同級生である繁もよく顔を見せていたのである。繁は独身主義を標榜する「才色双美」の女性だった。だが、後で明らかになるのだが、繁の独身主義は二人の姉が決して幸せな結婚をしていないことが大きく影響していた。欽哉は俗悪な形式主義、常識主義と戦おうと彼女を鼓舞する一方で彼女への愛を隠さない。
 しかし、欽哉は豊橋にある関家の養子であり卒業後はお房と結婚することになっていた。だが、このことで欽哉が断固とした態度をとっていたとは言いがたい。彼は二年間も実家とは音信不通であり、業を煮やした養母の関松尾がお房を伴って上京する場面も見られる。また欽哉が繁との愛を選択したため自活をせざるを得なくなり、その結果留年となったため実家から何とか経済的な援助を仰ぐべく実家に戻る場面がある。すぐ帰るはずだった欽哉は一カ月経っても繁のもとに連絡を寄越さず、彼女をやきもきさせている。このように彼はいざというときの覚悟が乏しいのである。
 やがて繁は妊娠する。この場においても欽哉は彼女の不安に正面から向き合っているとは言いがたい。そればかりか、彼は幼なじみの医師佐藤から堕胎薬を入手し、それを繁の部屋に置き残す。彼女がこれを飲んで発作を起こし、違法の堕胎行為が発覚するに及び欽哉は一人罪を被って服役した。
 三年の服役を経て釈放された欽哉を繁は迎える。しかし、欽哉は体ばかりか精神の健康を失っていた。もはや二人の結婚を妨げるものは何もないのに、二人の心はかつてのような高揚感は沸いてこない。そして、欽哉は繁に別れを切り出す。彼女も彼との関係がもはや続けられないことを感じていた。
 繁には満州に新設される女学校の教師の話が舞い込んだ。そこへ欽哉からの手紙が届く。彼が故郷で遭遇したのはお房の婚礼の日の入水だった。婚礼の相手は彼の幼なじみの佐藤。だが、佐藤が関家に近づいたのは打算ゆえであり、そこに愛情はなかった。
 欽哉は手紙の中で自ら「亡き許婚の情に殉ぜん」と述べた。だが、手紙を読み終わった繁は「那(あ)の人は死ねる人ぢや無い」と心の中で否定する。繁はこのときようやく欽哉の呪縛から解放されたと言えるのかもしれない。