梶井基次郎『闇の絵巻』 2022年8月
肺結核のため31歳の若さで夭折した梶井基次郎は絶えず死の恐怖と向き合う生活を余儀なくされた。その彼が病気療養のため湯ヶ島で逗留したときの体験をもとにして書かれたのが『闇の絵巻』である。
「わたしはその療養地の一本の闇の街道を今も新しい印象で思い出す。それは渓の下流にあった旅館から上流の私の旅館までかえって来る道であった。渓に沿って道は少し上りになっている。三、四町はあったであろうか」。多少補足をすると、梶井は川端康成に湯川屋を紹介してもらった。梶井はしばしば川端のいる湯本館を訪問し、夜更けまで時を過ごしたという。
この作品の冒頭では、何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという有名な強盗の語りを聞いて、「私」が「爽快な戦慄」を禁じ得なかったことが語られている。通常このようなことは難しい。「裸足で薊(あざみ)を踏んづける!」ような「絶望への情熱」が必要とされるのだ。
以前の「私」にとって闇はまさに恐れの対象であった。それは闇と死が同義のものとして認識されていたからである。だが、「私」は療養地での暮らしを通じて闇を愛することを覚えた。「闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志(注・絶望への意志)を捨ててしまうなら、なんという深い安堵がわれわれを包んでくれるだろう」との一文に、そのことは端的に見てとることができる。例えば、渓の闇に向って一心に「私」が石を投げたところ、そこには一本の柚の木があり、ひとしきりして闇の中から「芳烈な柚の匂」が立ちのぼってくる場面がある。このとき「私」は視覚のきかない場所で嗅覚を働かせているのだ。死の恐怖や不安が全く払拭されたわけではない。だが、ここで「私」は闇の中に安堵や安息を覚えている。そもそも『闇の絵巻』という矛盾するタイトルが生まれたのもそのゆえであった。
ある夜のこと、「私」は自分の前を提灯なしで歩いて行く男に気づく。男は突然その家の前の明るみの中へ姿を消し、明るみを背にしてだんだん闇の中へ入っていった。「私」はそれを「一種異様な感動」をもって眺める。それは、「自分も暫らくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんな風に消えてゆくのだろう」という感動である。ここには「私」の自己対象化が見られる。誰もが闇の中に消えていくという宿命を素直に受け入れたことが、「私」に安堵をもたらしたとは言えないだろうか。
「私」は「今いる都会のどこへ行っても電灯の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられないのである」と語る。「私」は療養地で闇の深さ、魅力を痛感したのだと言えよう。