(210)『母たち』

小林多喜二『母たち』  2022年10月

                小田島 本有

 『母たち』は1930年に北海道で起きた「12月1日事件」という左翼運動弾圧事件を扱った小説で、このとき小林多喜二は豊多摩刑務所に収監されていた。作品では「お前(多喜二)」に「母」が語るという手法がとられている。この事件で「お前の妹」も収監されるが、この作品で「母」が語るのは事件のあらましと、子供たちが刑務所送りとなった母たちの人間群像である。
 この母たちもさまざまである。「お前」がオルグとなっていたこともあり、上田進の母親は大川のおかみさんに、大きな声で「お前さんとこの働き手や俺ンとこの息子をこったら事にしてしまったのは、この」「伊藤のあんさんのお蔭なんだ。あんさんがこっちにいたとき、よく息子の進とこさ遊ぶに来る来ると思ってだら、碌でもないことば教えて、引張りこみやがったんだ」と不満をぶつけている。ここでの「碌でもないこと」とは言うまでもなく共産主義思想のことである。もともと息子は腕のいい旋盤工であったのに、収監されたばかりか面会に行くと右手に包帯までしている。しかも息子はそれを「しもやけ」だと言う。さらに話していると息子の口から「トッチンカンのことばかり」出てくる。「上田のお母ア」はこれが警察による拷問のせいだと思い、半狂乱の状態にまでなっている。「伊藤のあんさん」(お前)はまさに憎むべき相手なのである。このような話を聞かされているので大川のおかみさんも「お前の母」に対する視線は勿論厳しい。
 一方、山崎のお母さんは教育もあり、息子の活動の理解者でもある。「お前の母」はこの人を頼りにしてもおり、彼女の元を訪れて話し込むと心が弱くなって涙を流すのであった。  やがて公判が始まる。検事の求刑は山崎が3年、「お前の妹」が2年半、上田と大川は2年だった。そして大方の予想ではみな半年ぐらいずつ減り、上田と大川は執行猶予になるだろうとされていた。ところが、裁判長がそれぞれの被告に運動を辞める意思があるかどうか尋ねる段になって事態は思わぬ展開を見せる。
 山崎は頭を伏せたまま、「考えるところがあって……」と言って運動からの離脱を述べた。その結果、執行猶予。このとき、山崎の母がガクリと首を落とし、外へ出て行く姿が実に印象深い。「お前の妹」は自分の気持ちに変わりはないことを宣言。裁判長の「苦りきった顔」が殊更目立つ。そして、上田は転向を宣言した山崎を非難し、運動を続けることを表明し、母親を慌てさせる。「こら、進! お前えお母アば忘れたのか? ―あ、あ―この野郎! 畜生!」と叫ぶが、上田は振り返らない。そして最後の大川は運動を辞めて働いていきたいと語る。それを聞いたおかみさんは「お前の母」に少し気兼ねした様子を見せる。
 「今度のこっちのことをどう考えるか、お前の手紙を待っている」。この一文でこの作品は終わる。「お前の母」にとっても、今回のことはさまざまな思いが交錯し、心の整理が上手くつかなかったのかもしれない。