小島信夫『小銃』 2024年5月
蒙彊の地へ出兵した「私」の小銃をめぐる話である。
21歳で内地を発つ時、「私」は26歳の人妻と深い関わりを持った。彼女は夫が出征中でありしかも妊娠7か月。体の交わりはかなわなかったが、そのとき触れた手の感触は「私」の脳裏を離れることはなく、戦地で手にした小銃の銃把を握ると彼女の体が思い浮かぶ。「小銃は私の女になった」の一文が印象的である。
「私」は射撃の名手であった。ある時「私」はかねてより敬愛していた大矢班長から工作隊員と思われる「シナの女」の殺害を命じられる。女は7人いた捕虜の中の一人だった。女は「私」に「歎願の色」を見せ、「私」も不用意にうなずいてしまった。班長が女の殺害を命じたのもこの直後のことである。「お前は百米さきからこの女を射て。射ってから着剣して前進し、五十米前方で突撃せよ。それから突くのだ」。上官の命令には逆らえない。そして実行直後、大矢班長から「お前もこれで一人前になった」と言われる。だがその後の「私」は「半人前」でしかなかった。「私」は女遊びに溺れて「不名誉な病気」になって遠くの病院に送られる。そして、イ62377の小銃は取り替えられ、「私」の手元に残ったのは「下品な小銃」だった。
原隊に戻ってから「私」に待っていたのは大矢班長の邪険な態度であった。「私」の小銃のユウテイが誰かのものと入れ替わり、もとのものがなくなっていたからである。弁解の余地がないなか、「私」は幹部候補生の試験も受けることすらできず一人取り残されることになる。
そのようななか、「私」に汚名返上の場が与えられた。大矢班長の働きかけで師団の射撃大会が開催されることになったのである。イ62377の小銃を返してくれるよう「私」は要求したものの、古参曹長から戻ってきた小銃は「私」の望んだものではなかった。「私」は小銃を放り出し、射撃はできないと訴える。だが班長は認めなかったため、「私」は狙うこともせずに撃ち、零点に近い点となった。
その後「私」は熱にうかされ、記憶は途切れる。終戦後の軍刑務所の刑は17年残っていた。「私」は自分の小銃を焼き払おうとし、それを見た班長が駆けつけて斬りつけたとき、「私」は銃を取り上げて防ごうとしたところ安全装置がかかっておらず弾丸が相手の腹を撃ったという。
数年後、終戦によって「私」は免罪され、今は天津で武器回収の使役につきながら帰国を待つ身である。上官の命令とはいえ女を殺害した罪悪感は拭い難く残っている。三八銃がトラックに積まれて到着した中にイ62377があった。握ってみてもかつての輝きはない。そして想起するのは内地にいたあの人妻の姿である。そのことを断罪するかのように、「シナの兵隊のなぜか私をにくむ眼がせまってきて、さっと鞭がひらめいた」の一文が最後に置かれているのが実に印象的だ。