(228)『プルートーのわな』

安部公房『プルートーのわな』  2024年4月

            小田島 本有

  『プルートーのわな』が発表されたのは1952年。その前年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は占領状態から解放されたが、その一方で日米安保条約の成立によって新たな日米関係の形がスタートした。
 この作品はギリシア神話の「オルフォイス」、「イソップ物語」を下敷きとしている。
 オルフォイスはねずみたちの中で指導者的な役割を果たしており、ねずみたちの要請を受けねずみ共和国の初代大統領となった。ねずみたちが暮らすのは倉の二階。戸の外では猫たちがうろつく中、安全が保たれていた。だが、あるとき倉の持ち主である農夫がそこを開けたことで、ねずみたちの狼狽が始まった。結局それまで保たれていた安全はかりそめのものだったにすぎない。
 そこへ老いぼれの猫プルートーが現れる。残忍で知られており、その名は「死の王」を意味していた。オルフォイオスはプルートーの残忍さを訴え、どんな妥協もありえないと主張するがねずみたちは闘う気力を見せない。そしてイソップの寓話が話題に上り、「誰が鈴をつけに行くか?」を議論するばかり。オルフォイスはプルートーに交渉をもちかけ、了解を得る。自分たちの生命を保証してくれるなら一日1ポンドの肉、半ポンドの油、ニシン6匹を差し出す。その代わりプルートーの首に鈴をつけさせてもらう。
 いざオルフォイスが鈴を持っていこうとすると事態は紛糾する。だが彼の代わりに持っていこうとする者もおらず、名乗り出たのが彼の妻オイリディケだった。彼女は出ていったが、いつまで経っても帰ってこない。
 オルフォイスは妻を返してもらいたいとプルートーに申し出た。プルートーは一つの条件を出す。オルフォイスの後をオイリディケにつけさせるが、途中決して後ろを振り向かないこと。「振向いたら、奥さんはむろん、君の命も保証できん」。
 オルフォイスは皆が待つ二階に向かいながらもオイリディケがついてきているのか不安に駆られる。臭いもないし、彼の小声での呼びかけに答えも返ってこない。だまされたと気づいて振り向いたとき、オルフォイスはプルートーの鋭い爪と牙の餌食になってしまった。
 「おれが悪いんじゃない。約束を破ったオルフォイスが悪いのさ」とプルートーは二階を見上げる。プルートーは既にオイリディケを殺害していた。彼が最初に約束を破っていたのである。
 プルートーはアメリカ、ねずみたちは日本国民という見方は可能だ。その場合オルフォイスやオイリディケは一体何を指すのだろうか。さまざまな想像を促す寓話的小説である。