(248)『祈りの破片』

伊予原新『祈りの破片』  2025年12月

            小田島 本有

 「祈りの破片」は直木賞受賞作『藍を継ぐ海』の第3作目として収録された。ここでは人の足跡を辿ることに取り憑かれた人間が二人登場する。一人は長与町役場住宅係の小寺、もう一人は福岡の大学生大森ひかるである。
 小寺は、前例踏襲主義がはびこるお役所仕事にうんざりし、生きがいを見出せなくなっていた。空き家についての苦情に対応した小寺はその家に長崎の原爆資料が膨大に収められていることを発見する。そのとき彼は「迷惑なコレクター」によって面倒な事態に引き込まれたという思いが強かった。だがそこにあった5冊のノートは彼の認識を大きく変化させる。ノートの記述は1945年8月30日から翌年4月9日まで。そのノートは観察事実を正確に叙述する姿勢が一貫しており、心の動揺が見られない。記述者である加賀谷昭一は当時長崎師範学校の教員であり、46年5月12日に原爆症のため32歳で没している。小寺と同じ年齢だったことが彼をのめりこませていく。
 大森ひかるは中学の時に洗礼を受け、大学の卒業論文は潜伏キリシタンについて調べるつもりだったが、あるとき祖父から曾祖父がかつて長崎の教会で働いていたらしいという情報に接する。この祖父が加賀谷のノートにしばしば登場していた望月英治神父である。望月は後に棄教していた。これがなければ自分は今頃生きていない。そう思ったときひかるにとって曾祖父は運命的な存在となったのである。望月は神父時代、原爆資料を収集する加賀谷の協力者でもあった。
 望月には息子のように可愛がっていた清太君という6歳の男の子がいた。彼は被爆して亡くなっている。そして清太君が可愛がっていた1歳年下の男の子も被爆した。清太君はその子に聖母像が彫られたメダルをかけてあげていたという。その後そのメダルが望月の元に戻ってきたとき、彼の心は絶望感に打ちひしがれた。自分のそれまでの祈りは何だったのか。なぜ幼い子供たちが亡くならなければならなかったのか。望月はいわば信仰の無力感に襲われたのである。だが、遠藤周作の作品がしばしば示すように、信仰とは絶えず自分が宗教と向き合い、繰り返し問いかけることに他ならない。望月はその根本の課題に直面したのだ。だが、自らの信仰に迷いを生じてしまった自分が信徒を導くことができるのか、という疑問に逢着した望月は棄教せざるをえなかったのである。ひかるが語るように望月は「真面目すぎた」のだろう。
 空き家から鐘の破片が見つかった。これは望月がクリスマス・イヴの日に加賀谷に預けたものだった。調べが終わったら望月に返す約束になっていたという。しかし、その約束は果たされなかった。望月は翌年の春に教会を去り、加賀谷は5月に死亡したからである。原爆の惨禍がその背景には横たわっている。
 この鐘の破片こそが「祈りの破片」に他ならない。