ハン・ガン『別れを告げない』 2025年11月
キョンハ(私)は小説家。「K市に関する本」を書くために資料を漁っているうちに精神的なトラウマに襲われ、黒い木々が現れる悪夢にうなされた。ここで彼女が取り組んだ題材が1980年の光州事件であることは明らかだ。
インソンはキョンハと20年付き合いのあるドキュメンタリー映画作家。作品を読み進めていくと明らかになるのだが、彼女の両親は1948年に起きた済州島4・3事件で大きな傷を負った過去がある。父親は拷問の後遺症を抱えていたし、母親(姜正心)は少女のころ家族を虐殺され、兄(姜正勲)の行方を長い間捜し求めていたのだった。インソンがこの事実を知るのは母親が亡くなってからのことである。
インソンは認知症を患う母親を介護し、最期を看取った。生前彼女は母親を弱い人だと思っていたし、母方の親戚が少ないことに疑問を抱くこともなかった。だが、死後母親が残していた新聞の切り抜きや資料が数多く発見される。母親が兄のことや済州島4・3事件のことをさかんに知ろうとし、遺族会では中心的メンバーとして活動していた事実を知るに及んでインソンの母親に対する認識が大きく変化した。
そもそも悪夢からの脱却を願い丸木を植えることを提案したのはキョンハだった。そのプロジェクト名をインソンに尋ねられたとき、キョンハが答えたのが「別れを告げない」だったのである。時間経過と共にキョンハはその実現の意欲を失ったのに対し、インソンは木々と土地を用意し、それを短編映画にする意欲まで示していた。そこには亡母に対する思いが込められてもいたのである。
キョンハとインソンは共に韓国の歴史上暗黒の汚点となった事件に深刻な影響を受け、一時は自殺願望まで抱いたもののそこからの脱却を図ろうとしたという点で共通している。
インソンは少女時代家出をした。その後病院に入院し帰宅したとき、母親から雪片の話を聞いている。両親、兄、姉の死体を4つ上の姉と共に捜し回った記憶である。このとき彼女は13歳だった。雪のせいで顔の見分けがつかない。そのとき姉は一人一人の顔をハンカチで拭いて確認し、妹にもしっかり見るよう言いつけた。この話を語ったときの母親は別人のようだった、とインソンは語っている。
「別れを告げない」というタイトルについて、ハン・ガン自身は「別れの挨拶をしない」すなわち「決して哀悼を終わらせないという決意」であると語っている。作品の中で、インソンが「別れを告げない」というプロジェクトの名前の由来をキョンハにいろいろ尋ねるシーンがある。しかし、キョンハはこのときはっきりした返事をせず、やがてインソンはあきらめてしまった。このときキョンハが明確な答えをしなかった(あるいはできなかった)ことが、この作品においてはむしろ重要なことだったのかもしれない。
ハン・ガンは2024年、韓国で初のノーベル文学賞受賞者となった。