(109)『白鳥の歌なんか聞えない』

庄司薫『白鳥の歌なんか聞えない』 2014年5月

小田島 本有    

 
 白鳥は死ぬ前に美しい声で鳴くという。タイトルの「白鳥の歌なんか聞えない」は、迫りくる老人の死に影響を受け本来の姿を失った幼なじみの由美に主人公の「ぼく」(薫)が戸惑いながらも、潔癖なまでに死の誘惑を拒絶しようとする宣言の言葉である。
 由美は先輩の小沢さんの祖父が臥せっている姿を目の当たりにし、ショックを受けた。どうやら彼女は小沢さんとともに下の世話までやっているようである。この老人は自宅に大きな図書室をもち、驚くことにその大半が海外の原書、しかもどの本にも書き込みがされていた。だが、彼はそれをもとに何か著述をしたわけでもない。また由美によると老人は素敵な男性でもあり、彼の崇拝者は少なくなかった。由美もその一人と言えよう。
 老人の死期が近いということが、由美にさまざまな影響を与えた。愛犬のドンが亡くなった「ぼく」に、彼女はその代わりとして犬の縫いぐるみをプレゼントしたばかりか、その中には「あなたがとてもとても好きです」という恋文を忍ばせたりもする。日頃の態度からは想像もできない彼女の豹変ぶりに「ぼく」は逆に心配を募らせる。そればかりか彼女は作品の最後の方では服を脱いで、「抱いて」とまで言うのだ。彼女も「ぼく」を死すべき存在と認識したからこそ、「ぼく」が急激に愛しくなったのだろう。「ぼく」も一人の若い男性である。性の欲望に駆られながらも「ぼく」は、これではいけないと自らに言い聞かせ、それに打ち勝とうとする。この状態で欲望に身を任せることは、死に引き寄せられてしまうことを意味するからである。そして「ぼく」は彼女と交わることなく、思わず射精してしまうのだ。
 「ぼく」のこの姿は確かに格好悪いと言えるのかもしれない。しかし、現代に生きる我々の目には、この「ぼく」の格闘の姿、精神的潔癖さは逆に爽やかさを感じさせてくれるのではないか。
 やがて老人は亡くなる。「ぼく」はこの老人と一度も顔を合わせていない。会うことも拒否していた。それは自分もまた死の誘惑に引きずり込まれることへの恐れがあったからだろう。「ぼく」はこの数日間を「戦い」と称していた。この「戦い」が終わった今、「ぼく」にはこの思い出をやがて懐かしく思い出すだろうという予感がある。それは「ぼく」がその頑なな態度を堅持したがゆえに成長できたことを示しているのだろう。
 作品では、駆落ち宣言をしながら見事に失敗した行動派の小林、引っ込み思案で慎重派の横田という対照的な友人が登場し、彼らを配置することで「ぼく」の人物像がかえって浮き彫りになってもいる。おちゃらけた会話をしながらも、彼らの議論の根底には非常に真摯なものが横たわる。
 これはまさに青春の書なのだ。