(136)『三四郎』

夏目漱石『三四郎』 2016年8月

小田島 本有    

 『三四郎』は、主人公の成長を綴ったいわゆる「教養小説」として知られている。『三四郎』の場合、主人公の成長を認めることができるのは三四郎本人でも他の登場人物でもなく、我々読者なのだ。
 九州から出てきた三四郎にとって、大きなカルチャーショックを与えたのが彼と同年齢の里見美禰子であった。都会のインテリ女性である彼女は絶えず彼を翻弄し、「謎の女」であり続ける。美禰子はなぜ三四郎には「謎の女」として映ったのか。それは彼女が従来の価値観が要求する「女」の枠に収まろうとはしなかったからである。彼女は23歳。周囲からは結婚を期待される年齢に達していた。
 彼女に恋人がいなかったわけではない。その相手が野々宮である。彼は穴倉のような研究室で実験に没頭する研究者。三四郎はちょっとした態度から二人の関係を類推することができた。彼が美禰子に心惹かれながらも躊躇せざるを得なかったのも、彼の臆病も確かにあったが、二人の関係を敏感に察知できていたからに他ならない。
 しかし、雲について三四郎に語る二人の態度が象徴的に示すように、この二人は実に対照的である。雲を分析の対象として眺める野々宮と、「雪の粉」として夢想的に眺める美禰子。しかも、野々宮は美禰子の心の揺れを察知しうる人間ではなかったし、時には彼女を無視するような態度をとることで彼女を傷つけてしまうところがあった。
 菊人形見物に訪れたとき、美禰子が一行から離れたのも、野々宮が一行にたいして菊の説明に夢中になってしまい彼女が疎んじられているような感覚を味わったからだ。そのとき、彼女についてきたのが三四郎である。小川に佇んだとき、彼女は三四郎に「ストレイ・シープ(迷羊)」という言葉を教えてくれた。彼女はこのとき、一行から離れたという点で三四郎を自分と同類だと思い込んだのである。だが、三四郎の行動は自発的なものではなく、美禰子を心配してついてきたに過ぎない。後日、彼女から彼に送られてきた「絵端書」には小川に佇む二匹の迷羊が描かれていた。三四郎は美禰子が自分を仲間として認めてくれたことを嬉しく思っているが、その絵の中に髭を生やした悪魔(デヴィル)がいたことを殆ど意に介していない。彼女からの「絵端書」は共に悪魔と闘おうという熱いメッセージであったにもかかわらず、彼は返事を出せないまま時間が過ぎてしまう。このことが彼女に失望感を与えてしまったことはおそらく三四郎には分かっていない。
 やがて、美禰子は全く見知らぬ男と結婚する。結婚前に彼女は自らの肖像画を描かせていた。その絵が完成し、仲間と見に行ったとき、三四郎はその仲間から自発的に離れている。そして「ストレイ・シープ」の語を呟く彼は明らかに今までの彼とは異なっている。そのことを確認できるのは我々読者なのだ。