二葉亭四迷 『浮雲』 2008年5月
役所を免職になった内海文三と、逆に5円の昇給になった本田昇。文三は父親を早くに亡くし、田舎には母親を残している。今は叔父の園田家で下宿をしているが、近いうちに母親を呼び寄せ、結婚もしたいと考えているが、その相手として園田の娘であるお勢を漠然と思い描いていた。その矢先の免職である。彼が落ち込んだのは言うまでもない。
文三の免職を知って態度を豹変させたのはお勢の母お政である。日頃から本田が課長に絶えずご機嫌伺いをしていたのに、一方の文三は自分の忠告を無視していた。今回の免職は自業自得である。それが叔母の論理であった。お政はもともと文三とお勢を一緒にさせようと考えていた。しかし、本田の月給が35円になったことを知り、急に目の色を変える。彼女がそれまで文三にやさしかったのは、彼が官吏だったからに他ならない。 文三、本田それぞれが思いを寄せるお勢は、語り手によって「根生(ねおい)の軽躁者(おいそれもの)」と揶揄されていた。彼女は他人を「無教育」という言葉で見下す傾向があるが、そこには自分には教育があるという思い込みがある。しかし、腹を立てたときは「文三の畜生」と悪態をつくことに象徴されるように、決して知性的な女性とは言いがたい。近所の子供が入塾したと聞けば自分もそうしてくれと親に無理を通そうとするし、その一方で飽きやすい一面も持っていた。
その彼女を美化し、あたかも二人の間には確たる関係があると思い込んでいたのが文三である。お政とお勢が本田の誘いで団子坂の観菊(きくみ)に行ったことでうろたえたり、あるいは彼女の心が本田に傾斜したと断定するや、「寧(いっ)そ別れるものなら……綺麗に……別れようじゃ……有りませんか……」と宣言する文三の姿を見ていると、彼が完全に独り相撲をしていることが明らかだ。「誰が誰に別れるのだとは何の事です。」とお勢が呆れ返るのも無理はなかった。
そもそも彼女は、文三が免職になったとき、そのこと自体を非難などしていなかった。彼を悪し様に罵る母親と喧嘩していたのが彼女だったのである。事実文三はそのことをお勢本人の口から聞いて励まされもした。しかし、もともと内気だった文三は自分の思いをお勢に伝えていたわけではない。その点では、この二人は恋愛関係にあったわけでもないし、ましてや結婚の約束など存在もしなかった。ただ状況に身を任せ、勝手に二人の関係を恋愛関係と妄想することが彼の嫉妬を増幅させていたのである。 同じ屋根の下で嫉妬に駆られ、もがき苦しむ知識人の姿は後の『こゝろ』(夏目漱石)にも繋がるものと言えよう。男女交際が今ほどオープンになっていなかった時代だからこそ、このような物語が可能だったのだ。