小林 多喜二 『蟹工船』 2009年7月
「おい、地獄さ行ぐんだで!」
『蟹工船』は労働者たちが過酷な労働条件のもとに置かれたことを示す一文から始まる。作品の随所でここでの「臭さ」が強調されており、浅川監督の露骨な利益優先に基づく、人権を無視した横暴ぶりが殊更印象深い。
この作品の主人公はこの蟹工船の中で働く労働者たちである。彼らはこの作品において基本的に名前が与えられていない。殆ど唯一の例外は脚気で亡くなり、簡素な通夜の席でその名を呼ばれる「山田君」ぐらいである。無名の労働者たちと、唯一名前を与えられた浅川監督が実に対照的なものとして浮かび上がるのは非常に見やすい。作品は労働者たちの間で浅川に対する個人的な怒りがくすぶっている状態から、自然発生的にストライキが生まれるまでの過程が描かれる。
おそらく多喜二のねらいは、労働者たちが自分の置かれた環境の矛盾に目覚めることの大切さを訴える点にあった。ストライキは一定の成功を収めたかに見える。だが、自分たちを助けに来たかと思われた駆逐艦は味方ではなかった。仲間たちが引っ張られて行くというどんでん返しが最後には待っている。
労働者たちのストライキは、誰もが疲れてしまって働けない状態に陥ったときがヒントとなった。全体が機能しなくなり、浅川監督が焦りを見せたのである。彼らはこうして偶然サポタージュの効果を知っただけであり、ストライキに対する明確な方法論を欠いていた。彼らが足元を掬われる要因もそこにあったと言えよう。
しかし、横暴の権化とも思われた浅川監督も結局のところは組織の中の歯車にしかすぎなかった。作品の結末には「附記」と称する一節があり、そこでは二度目の「サボ」が成功したこと、「サボ」が起きたのは彼らの乗った博光丸だけではなく、全国的な広がりを見せたこと、そしてストライキを惹起させた責任として浅川監督が雑夫長とともに首を切られ、「畜生、だまされていた!」と叫んだ事実などが簡潔に述べられている。
これらの事実は本来本文の中で展開されるべきものであり、これらを「附記」の中で処理したところに作者の未熟さが浮き彫りにされているという批判は免れないであろう。その点から言えば、『蟹工船』は作者にとってまだまだ発展途上の作品だったのである。
昨今の『蟹工船』ブームに一番驚いているのは他ならぬ多喜二自身かもしれない。